『イブン・バットゥータと境域への旅』

香港経由のアジスアベバ便は、700年前にイブンバトゥータが通った海の道の上空を一直線に飛びます。

700年前、この海の道を伝った中国とイスラムの交易がさかんになり、ヨーロッパとアジアがゆるやかにつながります。バトゥータは港市に停泊中のさまざまな船に何が積まれどこに行くのか、荷主は誰で船員はどこのひとたちかを観察するばかりでなく、実際に乗せてもらい、次の国を訪れていきます。
その少し前、モンゴルが巨大な帝国を築いてやはりアジアとヨーロッパを自由に往来できるルートがひらけたため、イブンバトゥータは海の道と陸の道を使って25年の長旅に。
家島彦一著、名古屋大学出版会2017.2.20刊。副題は「『大旅行記』をめぐる新研究」。4月2日の読売新聞に書評が出ていたのがきっかけです。

なぜイブンバトゥータの旅を「都市イノベーションworld」に加えるのか。

第一。そもそもこの頃のことがよくわかっていないこと。『ハンザ』(⇒関連記事)は組織的な分、ようやく体系的に理解が進んできた例ですが、こちらはイスラム世界の「境域」やその結節点の港市(都市)での13〜16世紀頃までの交流がどうなっていたかを理解しようとするもので、資料や考古学的成果は断片的でしかない。バトゥータの成果はそれをつなげて理解できる(きっかけになる)。
第二。「境域」への旅であること。「境域」は、ある時代の文明と文明の境目にあり、常にリスクにさらされる一方、それはチャンスにもつながる、ワクワクする驚異の世界のはず。実際、バトゥータの『大航海記』の正式名は、『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈物』というのだそうです。これは現代にも通じるはず。
第三。バトゥータが25年の東方への長旅を終え、旅そのものを終えようとした50代に、さらにサハラ越えの旅に出たその理由と意味。本書によれば、それは、「レコンキスタ」によりイベリア半島で劣勢に立たされていたイスラム勢力が、自ら(バトゥータは、ジブラルタル海峡をはさむアフリカ側のタンジール出身。)の足元を固めるためその背後にあるサハラ越えの地域との結びつきをしっかりしたものにしようとする、歴史的・政治的な意図のもとにバトゥータに課された命令だったのではないかと。さまざまなサハラ越えルート沿いの都市や地域での生活の様子がかなり詳細に描かれていることをその理由にしています。
第四。本書に盛り込まれた地図の詳細さ。その頃、どのような都市と都市がどうやって交易していたか。何を交換していたかが詳しく記されています。渡すものはこちらの産物。欲しいものはこちら側に不足しているもの。当時より、日用品のみならず金などの資源が強く求められています。これがやがて次の時代に「黄金の国」を求めて我先にと争う歴史のエンジンとなっていくのでした。

[関連記事]
・『ハンザ 12-17世紀』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170221/1487635910

【in evolution】世界の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168