1492年 : レコンキスタと大陸発見

イブンバトゥータがサハラ越えの旅に出た1351年から141年後の1492年1月2日、グラナダが陥落し、レコンキスタはここに終結したとされます。この「1492年」はまさにコロンブスアメリカ大陸を「発見」した年。コロンブスは1492年8月3日に、ジブラルタル海峡の北西200キロほどのところにあるパロス港を出港。ついに10月11日に陸地を発見したとされます。
世界の歴史を変えたこの「1492年」という年の意義と意味を、「都市イノベーションworld」的興味でもう少し突っ込んでみます。

第一。ジェノバの船乗りだったコロンブスが大航海への援助を働きかけたのは1484年末頃とされ、それはポルトガル王に対してでした。しかし王は興味を示さず断念。結果的に1486年、スペイン王に話が通じ、さらに待つこと6年。グラナダ陥落により財政的負担が緩和されたこともあり、コロンブスの計画は十分折り合いがつけられると判断した財務長官が女王を説得する形で計画が認められたとされます。
第二。ポルトガルはその後もあくまで従来型の「東回り」にこだわったのでした。それであればベネチアの商人マルコポーロ等によってもたらされた情報や経験にもとづき、陸伝いどんどん先まで行くことが可能と判断したのでしょう。実際、1513年にはマカオまで到達。その後、1543年には種子島に鉄砲がもたらされています。「地球は丸い。がゆえに「西回り」でどんどん行けば必ず陸地の東端に着くはず」などということを誰が信じるでしょうか。けれどもスペインは、「西回り」で必ず陸地の東端に着くはずだと主張するジェノバの船乗りと組み、リスクとリターンを天秤にかけ、賭けに出たといえそうです。もしかすると「地球は丸い。がゆえに「西回り」でどんどん行けば必ず陸地の東端に着くはず」との科学的思考に馴染めるほどの革新的思考回路を受け入れる土壌ができつつあったのかもしれません。
第三。その結果、アメリカ大陸の大半はスペインの手に。ポルトガルは出遅れて、1500年にブラジルを発見。2つの条約により、地球は2分割されています(最初のトルデシリャス条約(1494)では南米大陸だけに線を引いたため、これでは地球を分割したことにならないと後で気づき、サラゴサ条約(1529)によりもう1本線を引いたと解説されている)。線を見たままに説明すると、ブラジルから「東回り」でアフリカやアジアを通り日本付近までがポルトガルの勢力範囲。その日本付近から太平洋をまたいで南米のブラジルの手前までがスペインの勢力範囲。これまで気づかなかったのですが、この線によると、種子島を含む日本列島の大半はポルトガル側、北海道の東半分がスペイン側です。なんと乱暴なことでしょう。けれどもその500年前の乱暴な出来事が、レコンキスタ終結による住み分けも含めて、そのままその後の世界の歴史となるのでした。

最後に。これが最も重要な点と思われる第四の点。レコンキスタに伴う都市計画から、新大陸におけるインディアス法による都市計画への連続性です。横山和加子の研究(⇒参考文献)によると、レコンキスタにより「異教徒から奪取した土地には、王権が国境防衛のための辺境都市を建設させた。国王はそれらの都市に対し司法権、市民の代表による自由な市政、市の共有地の所有とそこから市民への宅地・農地配分の権利、時に貢租やその他の税の免除、亡命者の保護権や市民の前科・法的追訴の取消、封建貴族や教会権力からの保護などの様々な権利を与えて、それらの都市の保護育成に努めた」とされます。しかしレコンキスタが終息局面に向かうとともに中央集権化を図る国王によってさまざまな権利が剥奪されます。それを踏まえて横山氏は自身の既往論文に拠りつつ、「新大陸に渡ったスペイン人達が、自弁の武力によって征服した土地に都市を建設し、国王から付与される数々の特権に護られて自律的・自治的市政を享受する都市貴族となるという、カスティリア都市の伝統を夢に描いていたことは想像にかたくない」としています。

(参考文献)
・横山和加子(2005)「インディアス法にみるスペイン系植民都市の建設」(『植民都市の研究』JCAS連携研究成果報告8)

【in evolution】世界の都市と都市計画
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