人間と人工物と風景と

今朝の電車の中でふと目をあげると、日本海の「美食旅」のポスターが。

「ああ、越前ガニ食いたい」と普通ならそちらに関心が向くところが(実際にはそのポスターはもっと北の県の関係だった)、なぜか目は海岸のコンクリート構造物の方へ。「人工物」が目立つので、そちらの方に注目してしまっていたのでした。

 

実は昨日、卒業設計発表会があり、その中で、雪国の盆地で建設がストップしたバイパスを地域再生に活かそうという意欲的な作品があり、そのプレゼンテーションがとても美しかったので、また、人工物と自然との関係についてもいくらか議論になったので、意識に残っていたのでしょう。

 

そのポスターを要素別にざっと面積比率をみると、コンクリートなどの人工物が25%、海が15%、空が30%、山が30%です。自然の要素が75%もあることになる。いいではないか、と。しかし、感覚とだいぶ違う。そこで再度見ると、電柱がたくさん建っている。(少し飛躍しますが)心理的要因も加えると人工物は25%ではなく40%ほどに見えているのではないか。しかしそれでも感覚と違うのでもう一度見ると、写真はポスターの一部でしかなく、回りに余白がありいろいろ書いてあります。写真部分を紙面の70%とし余白は「人工物」に入れると(やや強引ですが)、人工物割合は0.3+0.7×0.4=0.56となり、ポスターの半分以上は人工物。これで感覚とだいぶ近くなりました。(さらにいうと「海」「空」「山」の写り具合もかなり影響している)

 

地域の風景を伝えるポスターは美しく映っていると印象が良い。というより、元気も出るしその場所に行ってみたいと強く思うはず。

しかし実際に電柱だらけ、(美しくない)構造物むき出しなどが地域の実態だとすると、ものごとを少し長い時間でみて、「人工物と風景」「わが町の美しい「海」「空」「山」とは?」などと自問・表現し、評価し合うことが大切なのでしょう。