『京都の山と川 「山紫水明」が伝える千年の都』(都市は進化する104)

遷都に遷都を重ね(⇒関連記事)、ついに‘安住の地’をみつけてその後1200年以上にわたり存続している京都という都。首都という意味では現在は東京が都かもしれませんが、やはり、この安定した都市京都が、なぜこのように長期にわたり安定しているのかについて、都市と自然の関係から論じた本がこの8月に出ました。鈴木康久・肉戸裕行著。中公新書2711、2022.8.25刊。

今、「論じた」と書きましたが、内容はきわめてシンプルに整理され、かつ、その軸に沿ってガイドブックとしても使える形に構成されています。ありそうでなかなかこれまでなかった魅力的な本です。「第1章 東山」「第2章 北山」「第3章 西山」「第4章 鴨川」「第5章 桂川」「第6章 宇治川」「第7章 琵琶湖疏水」「第8章 洛中の川」「終章 山と川の価値を考える」。

 

本日は「第3章 西山」に関連して、「老ノ坂峠」をとりあげます。

先日、『城下町』(吉川弘文館2013)の中でその都市計画が図入りでとりあげられている城下町亀山(p.63)を訪ねた帰り道、「本能寺」へと向かう明智光秀が通った「老ノ坂峠」越えをすることに。亀山城付近を出発し、その「老ノ坂峠」を越えて京へと(バスで)下ってみると、不思議な感覚に襲われました。「上り」はすぐに峠になったのに、「下り」はダラダラと、思った以上に長くとてもアンバランスだったと。そんなことがあるのか?? とてもヘンだ。。。明智光秀は、前方に京の市街を見ながらも随分長い間、はやる気持ちを抑えて京への坂道を下ったのではないか。。。

 

その感覚をそのあとに乗ったタクシーの運転手さんに話すと、

「それはナ、京都のほうがうんと下の方にあるからヤ」と、あっさり。

 

一瞬、なんのことやら理解できなかったのですが、スマホの標高アプリ地図で確認すると、およそ、「亀山城付近」105メートル、「老ノ坂峠」190メートル、(バスを降りた)桂駅20メートルでした。85メートル上がって170メートル下る。アンバランスなはずです。(当時の旧道の峠はもっと高かっただろうし、今のバス道ほど滑らかではなかったと思われるがそれらは無視)

そんな感覚を味わったあと「第3章 西山」をみてみると、ありました。標高差については触れられていませんが、以下、少しだけ引用させていただきます。(p.80)

 

「大江山生野の道の遠ければまだふみもみず天橋立(小式部内侍)

 

山城国から丹波国への道のひとつである山陰街道(現在の国道九号線)は沓掛山と大枝山の鞍部にあたる老ノ坂と呼ばれる峠道を通っている。歌に詠まれた大江山は山陰街道にある大枝山といわれ、丹波へ向かうには山陰街道の左手にある大枝山を見ながら老ノ坂を抜けることになる。ここを越えると亀岡市で古くは丹波国になり、丹波亀山城を居城とする明智光秀もこの坂を越えて本能寺に向かった。」

 

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