「古代都市文明の生成と伝播」(世界の都市と都市計画)を5つのパートに分けました

【in evolution】日本の都市と都市計画 」を節に区分したのに続き、【in evolution】世界の都市と都市計画 」のほうも区分してみようと試行錯誤しています。まずは古代の部分。第一案は以下のとおりです。

■A.古代都市文明の生成と伝播
A-1 都市の起源
A-2 さまざまな都市文明の勃興
A-3 古代ギリシャ都市とローマ帝国
A-4 ポストローマ帝国の都市
A-5 古代末期の諸帝国とその影響

同じ「古代」でも、大陸の端にある日本では都市自体の出現が紀元3世紀頃とおそく、上記目次では最後の「A-5 古代末期の諸帝国とその影響」のところでようやく「諸帝国」のアジア代表の(隋・)唐の影響で藤原京-平城京-平安京が出てくる。「出てくる」といっても実際にどう出てきたかは「世界」のほうではなく「日本」のほうでの扱いとなります。さらに現時点での想定では、唐が907年に滅亡したあとは外圧が弱まり、日本独自の都市の進化の視点になる。元寇(モンゴル襲来)があったり西欧列強による植民地化の脅威があったりしたものの何とか幕末までしのぎそれまでのかなり長い間、独自の都市生成・進化が日本ではみられた、とのグローバルな位置づけを考えています。

そういう意味では「世界の都市と都市計画」とうたっていてもすべては描けず、メインの骨格だけ描くことになる。日本編はある意味「ケーススタデイー」のようなもので、描かれたメインの骨格に対する接続の仕方を考えることになる。

そのような想定で、以下、「世界」のほうの目次をもう少し明確にしながら分節していこうと思います。