昨年の今頃、都市計画学会60周年を記念して刊行した『60プロジェクトによむ日本の都市づくり』(⇒第23話)。その成果の1つに、60プロジェクトすべてに「プロジェクトその後」の項目を設け、60名の執筆者の方々に、さまざまな角度から「プロジェクトその後」を書いていただいています。No33の「日立駅前開発地区」は1992年の計画設計賞授賞作で、当時私も見学に訪れました。あれから20年。「プロジェクトその後」にも書かれている、新しい駅舎と駅前広場づくりへの進化の様子を一目見ようと、福島からの帰りに立ち寄りました。
妹島和世氏がデザインを監修した駅舎は、「駅」の可能性を大きく切り開き、都市の歴史の進化の仕方に1ページを付け加える21世紀的な作品でした。駅舎を含めた駅空間自体が、日立という街を題材とした作品のような、これまで体験したことのない雰囲気をつくっていました。
戦災復興計画で「平和通り」(1951年完成)と名づけた桜並木もなぜか駅前広場空間を介して駅舎と密接につながり(細かな点も含めてデザインをかなり工夫したものと思われる)、『60プロジェクトによむ日本の都市づくり』でとりあげられているシビックセンター(1990年オープン)を引き立て(駅舎の位置を少し上野寄りにずらしたことにもよる。しかしこれにより平和通りの軸がずれたにもかかわらず、むしろ平和通りとの関係も強化されているように感じる)、日立という都市ができる前からそこにあった海を、皆が訪れる駅空間の風景にしっかり取り込み、日立という都市の歴史を束ねながら21世紀につなげていこうとする意欲を感じました。