『コスモポリタニズムの挑戦』

ベルリンの壁崩壊(1989年11月9日)からあと2日で25年。「東」と「西」を隔てていた壁の消失は、もはや世界が資本主義一色の単一システムになったことを意味しました。これと歩調を合わせるように日本の中心市街地は衰退。先週開催された「沼津市中心市街地再生懇談会」でも、まだ1990年頃までは中心市街地にそれなりに活気はあったとの地元の方の声。この、「ベルリンの壁崩壊」後の25年とは何だったのでしょうか。
本日から連続で3日間、それを解く鍵として注目される3冊の本をとりあげます。いずれも都市というものの性質を、「state(国という存在。そのシステム)」との関係において現代的に読み解いたもの、あるいはそのように読めるものです。
本日は『コスモポリタニズムの挑戦』。古賀敬太著、風行社、2014.6.25刊。
グローバリゼーションが進む今日、「諸調査からすると、世界の約15%の人々が超国民的なアイデンティテイを、38%が国民的アイデンティティを、47%が地方的(local)なアイデンティティを主たるアイデンティティとしている」(=序(p5)に引用されている文章)ということからしても、「国」という今日の枠組みは人々にとってのアイデンティティの一部でしかなく、現在の「国」の形は一般にはせいぜい100年くらいしか安定した形では保てていないことをみても納得できる数字です。
こうしたなか、「世界市民」と訳されるコスモポリタニズムの思想史を、コスモポリタニズムvs国民国家の図式で読み解いた、たいへん興味深い論考です。
「コスモポリタニズムの思想が初めて登場するのは、古代のポリスが衰退し、「帝国」が登場するヘレニズム時代である。」との文章からはじまり前半の6章がコスモポリタニズムの立場から思想史を位置づけたもの。ハーバーマスも第5章で「法制的コスモポリタニズム」論者として語られます。ちなみに他の切り口は「自然法論的」「共感的」「デモクラシー」「分配的」。後半の4章がコスモポリタニズムに批判的な国民国家の側に立つ思想家たちです。
ベルリンの壁崩壊後の都市は、それ自体がグローバル競争の拠点となり、世界に直接結びついています。都市はコスモポリタニズムの中心地であり、東京にいようとニューヨークにいようとベルリンにいようとペキンやシンガポールにいようと、世界市民としての同時代を生きているという実感がますます強まってきました。ちょうどベルリンの壁崩壊後に急速に普及したインターネットという汎用技術が、こうした感覚や状況を強固なものにしています。そうした時代の都市と国家と世界の関係を考えるうえで、とてもありがたい切り口を用意し解説してくれた本書に敬意を表したいと思います。