『21世紀の資本』(トマ・ピケティ)

みすず書房より日本語訳(山形浩生ら)が2014.12.8に出た本書の魅力とその意味を、自分の関心から3つあげます。(経済学者らの評価は擁護・批判も含めてたくさん出ているのでそちらで。)
第一。学者としてのすごさ。フランス革命直後からの膨大な所得データ等を200年以上にわたりコツコツと収集・整理し、200年もとれない他国であってもジワジワととれるだけとり、それらが蓄積されて世界的な比較ができるほどの実証的・歴史的データを開発したこと。
第二。そのとき、先人たちが道半ばでやり残したデータ開発の意思をつぎながら、「たまたま50年間だけのデータからわかったようになっていたこと」を100年、200年のスパンでとらえなおすことで全く新しい(と思える)結論を導き出していること。
第三。このことにより、経済学を歴史学に橋渡ししつつ、「格差」についてより深く、歴史的・定量的・理論的に考える新しい道を示したこと。
特に第一・第二の点が総合・統合された第三の点は、歴史をみる新しい方法を、経済学にとどまらないさまざまな分野に対して提示している点でとてもワクワクします。例えば、『キリスト教ローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由』(ロドニー・スターク著、新教出版社、2014.10.1刊)では、40年には1000人でしかなかったと推定されるキリスト教徒が、なぜ、どのように300年に630万人(ローマ帝国の人口の10.5%)、350年に3388万人(同56.5%)のように急速にひろがったのか?との課題に対して、「10年間で40%」という緩やかな普及過程が300年続いたと考えてみてはというごくシンプルな仮説を提起していて(それなりに裏づけもなされていて)驚かされます。年率に直すと3.4%ほどのこの数字は、現代の経済成長を考えると「そんなすごいことではない」と思ってしまう数字ですが、それが100年、200年、、と続き、ついにコンスタンティヌス帝が313年にキリスト教を公認するまでに至ったことを考えると、3.4%で100年というのはものすごいことで、まさにこういうことが「歴史の重み」というものなんだなぁと、新鮮な気持ちになります。
21世紀の資本』に戻ると、歴史的にみたときの経済成長というのはきわめて低いこと、にもかかわらず資本収益率の平均値はコンスタントに高いため、何か(し)ないと、格差は広がるばかりだということを100年、200年のデータから読み解いています。ごく簡単に資本収益率を0%(現在の銀行預金は0.02%なのでほぼゼロ)の場合と3%の場合(本書では米国の一流大学の資産運用では6%から8%の運用ができていることを示している)を100年間続けると前者の100の資本は100年後も100なのに対して後者は1900ほどになる。最初は50対50だった資本が100年後には5対95になっている。19世紀までどちらかというと95対5的な社会だったものがその後の2度の大戦およびそれに伴う帝国の解体、社会の混乱、中産階級の成長で50対50的な「戦後」だと思っていたものが、1980年以降、今度は95対5的な社会の方向へ向かいつつある、とのデータが語る静かな警告の書と理解します。いろいろな意味で考えさせられるとともにヒントも与えられます。
例えば都市計画の立場からこのことを中間層の没落とアンダークラスの増大と関連づけると、タイラー・コーエンの『大格差』とつながり、富裕層が集中するロンドンメガリージョンとそれ以外に分化しつつある中世化という点ではピーター・ホールの『Good Cities, Better Lives』(本ブログの上記『大格差』でふれている)とも重なり、サブプライムローンの破綻がもたらした郊外(中産階級)の危機という観点ではリチャード・フロリダの『グレート・リセット』とも重ね合わせることができそうです。メガシティの中心には超富裕層の財産としての不動産が蓄積・保全され、ますます富が集中していくとする『THE EVOLUTION OF GREAT WORLD CITIES』定量的・理論的に不足していた部分も、ピケティの本書の知見を補充すると「なるほど」と思えるようになり、(アメリカの)ゾーニングというものがもつ資産蓄積・資産保全機能につき新たな研究材料を示唆しているのではと思わされます。
2015年。日本では成長産業が見出だせない中、人口減少と生産人口減、超高齢化で「みんな仲良く貧困社会」(『週刊東洋経済』2014.7.26に紹介されている小塩隆士教授の弁)に向かっているのでは、とのアセリも垣間見られます。ピケティ氏の本書を読むと、日本が、19世紀から20世紀にかけて世界の中でどのような位置関係にあったのか、21世紀に入り10年経った時点でその位置関係や向かっている方向がどうなっているのかについても、新たな知見・視点を与えられます。2010年という歴史的位置が、リーマンショック後間もなく、「3.11」を翌年に迎えるという意味でどう読めばよいのか、2015年からこれからにかけ、どのような時代が訪れるのか。どのような時代を切り開かなければならないのか。
そんなことを考えさせられることになる、とても刺激的かつ静かに平易に語る良書です。