ドバイ開墾(4) : ニュードバイ

古いドバイから新しいドバイ(ニュードバイと言われる)への転換点はどこにあるのか?
1つの手がかりが、100Dh紙幣に印刷されているワールドトレードセンターです。1971年にイギリスの保護を離れ独立したUAE。1970年代当時まだ市街地のフリンジに位置していた地に建てられた味わいのある施設で、地元の人たちからは当時の首長の名前をとり「ラーシドタワー」と呼ばれているようです。設計者は英国の建築家ジョン・ハリス。『DUBAI』(Ahmed Kannaa著、ミネソタ大学出版、2011)によれば、1960年にラーシドから委託され同じジョン・ハリスにより作成されたマスタープラン(そのものは私的コレクションとしてハリス家所蔵)とその改定版である「1971マスタープラン」があるとされ、両者を比較すると、旧市街地の新市街地への接続の考え方や実際の都市形成史がわかると思われます。
石油埋蔵量が圧倒的に多いアブダビに比べてドバイは量が少ないことから、どうやって石油に依存しない国家に移行するかが最大の課題でした。

論文「Diversification by Urbanization」(International Journal of Urban and Regional Research,38(1),155-175,2014)は「都市化による多様化」をキーワードにそれを読み解いた最新の論文です。
それは、1)最近の開発は政府主導というより開発過程への民間参入を特徴とし、不動産所有の対外開放(2002〜)ともあいまって信用創造が拡大し、投資機会を求めるアラブ諸国等からの資金を集めている。2)資金を利子付きで借りてより高い収益を出すという単一の方法しかない現代資本主義に加え、利子をとることを禁じているイスラム法のもとで発達したイスラム金融手法「スクーク」による多様な資金調達が増加。ドバイに限ると2003年に3%だった「スクーク」による資金調達が2006には15%と急増。(不労所得やギャンブル的投機によらない)何らかの実態を伴うこの金融手法が注目される。3)リーマンショックの痛い経験も踏まえて、政府は土地の長期リースや金融資本への新たなレギュレーション等の、新たな枠組を検討している。

こうした技術・制度面の前提としてやはりリーダーのビジョンがあります。マクトゥームが父ラーシドに連れられて、まだ砂漠しかなかったジュベル・アリに行き、そこに巨大な港を築くことを決めたときの逸話が紹介されています(『MY VISION』)。こうした大きな決断をし、まずは政府主導でインフラに投資し、最初は100%政府出資だった組織が徐々に会社化・民営化しつつ新たな民間企業が成長・参入していく、その最新のプロセスと状況を読み解いたのが上記論文でした。