メソポタミアとインダスのあいだ

地球上に都市が発生しつつあった頃、地理的に離れた都市Aと都市Bは、偶然にも同時期に形成されたのか? それともよくみると、ジェイコブスが観察するような(⇒関連記事1)相互関係(創発)があったのか?
本書は、今まで謎とされていたモヘンジョダロ(インダス文明)の都市計画が、どのような経緯でなされたかを、近年の考古学的成果のうえに、メソポタミアとインダスとの関係の形成の観点から描き出した、とてもワクワクするイノベーティブな図書です。
後藤健著、筑摩選書124、2015.12.15刊。

メソポタミアとインダスの間にはイラン高原があり、その間の主要地点であるスーサやヤヒヤといった古代都市を介してそれぞれが必要とするもの(特に農耕には優れていたが金属や宝石などには恵まれなかったメソポタミア)が取引されます。海上に目を転じるとメソポタミアとインダスの間にはアラビア湾オマーン湾アラビア海があり、対岸のアラビア半島の開発(主に現UAEアルアイン地域で産出される銅)も伴いながら主要都市拠点を介してネットワークが形成されていきます。戦争による征服や資源の枯渇等で特定の都市が衰退した場合も、ネットワークの強みを活かして別の都市が拠点化され、文明が進化。このようななかから、「都市というものに精通し、それまで都市というものを見たこともないスィンド地方の人々に、完成度の高い都市の設計図を提示することができたのは、イランの都市住民であった可能性が最も高い。熟考された都市計画による、整然たる都市モヘンジョ・ダロの建設は、熟練の都市設計者の指導の下でおこなわれたことは明らか」と指摘。

自ら得意とする「何か」と、自らに不足する「何か」を交換する。その「何か」がとびっきりすごければ地の果てまで旅することを厭わない、という行動の積み重ねや流通ネットワークの進化によって、都市Aとはまったく関係なさそうな場所に都市Bがあらわれる、、、。モヘンジョ・ダロの建設は前2600年頃とされます。
日本で最初の都市ではないかといわれる纏向遺跡は2〜3世紀頃のものと考えられています(⇒関連記事2)。

[関連記事1]
・『発展する地域 衰退する地域』 (都市イノベーション2020 第69話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150114/1421229776
[関連記事2]
纏向遺跡 (都市イノベーション読本 第80話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130205/1360047676