八戸からいわきまで・2016春(その2)

2013年8月の「八戸からいわきまで」では、公共交通の復旧・復興を軸に、4つの地域に分けて課題をとらえました。第一が三陸鉄道区間。第二がJR山田線、大船渡線気仙沼線沿線、第三が復興まちづくり事業と合わせた仙台大都市圏の各エリアの復興、第四が原発被災区域のJR常磐線不通区間です。
前回の(その1)では第二の沿線地域をとらえました。今回は、第三の「復興まちづくり事業と合わせた仙台大都市圏の各エリアの復興」をとらえます。なぜここで「仙台大都市圏の」ととらえているかというと、大都市圏域に位置する地域は、1)鉄道利用者が 一定程度いるためJRの鉄道による復旧が早期に決まり、そのことと復興まちづくりとを連動させて実施することができたこと、2)大都市仙台圏のもつ多様かつ多数の機会、例えば転職の機会や教育の機会、買い物や通院の機会などが選択できる(た)と考えられることなどによります。

まず、復興の指標となると考えられる「まちなか再生計画」第一号を策定し2015年3月にJR女川駅を復活させ(駅の場所は移動している)「まちびらき」した女川。2015年12月23日には“シーパルピア女川”がオープンし、一気にまとまりあるにぎわいの中心ができました。まちづくり会社「女川みらい創造」が運営するこの施設は、前方が海へと連なる景観的にも魅力ある一体的デザインです。女川が仙台大都市圏かどうかは微妙なところですが、石巻という拠点都市を介して大都市仙台と直接つながっているイメージです。
その石巻。嵩上げは行われず、元の市街地が何割か残る状態からの復興が中心部で徐々に進んでいます。「まちなか再生計画」で中心施設の1つになっている“石巻テラス”は低層階の店舗等も間もなくオープン。他に2件の再開発事業が進みます。また、旧市役所大通りの区画整理による道路部の工事がちょうど進行中で、チャーミングにデザインされ先行してオープンしている店舗群などとともに、他にはない、「復興の街並み」があらわれてきました。再開発事業とは異なり、街並みのスケール感や一体感が新鮮に感じます。少し内陸側に入った蛇田地区の復興区画整理事業もかなり進み、JR新駅「石巻あゆみ野」駅も先月オープン。まだまだ課題山積ですが、仙台大都市圏内ともとらえられ、宮古−釜石−大船渡−気仙沼石巻と連なる三陸の拠点都市ともいえる石巻という都市の役割は、これからも大きいのだと思います。

2013年8月時点で「平成27年度中の全線運転再開めざす」としていたJR仙石線高城町−陸前小野間は、少し内陸に入った丘陵地を造成して線路ごと街を移し、野蒜駅東名駅という2つの駅をもつミニ・ニュータウンが完成しました。本年間もなく6月には最初の宅地引き渡しがあり、建築がはじまります。東北本線を一部使った「JR仙石東北ライン快速」に乗ると、仙台まで30分代。
同じく「平成29年度春頃の運転再開めざす」としていたJR常磐線浜吉田−相馬間も、内陸側に線路を移動させつつ高架構造に。現在、駅部分の工事もかなり進み、本年12月に常磐線が復旧予定です。その中心となる山元町のまちづくりとの関係をみると、山下駅周辺の整備がかなり進み、丘の上の町役場から山下駅方面を結ぶ幹線道路が先月開通。駅前に建設中の小学校も本年度2学期から子供たちが通い始めます。坂本駅(山元町というのは山下村と坂本村が1955年に合併してできた)周辺も小規模ながら整備が進み終盤にさしかかっています。

以下、独自の復興過程にある名取市閖上(ゆりあげ)と岩沼市の近況です。
甚大な津波被害を被った閖上。毎週日曜の“ゆりあげ港朝市”が2013年5月に現地に復活し盛況です。なかなか決まらなかった復興区画整理事業も動き出しました。市内の別の場所で営業している「閖上さいかい市場」は仮設住宅群のすぐ近く。少し先になりそうですが、復興後の閖上の姿が少しずつ見えてきました。
内陸部を区画整理して浜から移転することをいち早く決定した岩沼。浜には“千年希望の丘”があちこちに姿をあらわし、内陸に新たに造成した区画区画整理移転地は、商業施設を内包する住宅団地として地域に溶け込んでいます。

以上のように、第三の「復興まちづくり事業と合わせた仙台大都市圏の各エリアの復興」は被災後5年の現時点において、およその方向が見えてきたと思います。この過程において、大都市仙台が都市として果たした役割は大きかったと感じます。このことは次回とりあげる(その3)の原発被災区域における、いわき市南相馬市の都市としての役割にも通じるものがありそうです。