検証・2050日本復活(4)生活中心化/地域個性化

「生活中心化」「地域個性化」は著者の論理そのものというより、それらの結果としてありうる都市像。ここではこれらがどうありえそうかの程度を検証します。

「生活中心化」。35年ぶりに日本を訪れた「彼」が若手社員をビールに誘ったところ断られてしまったので「仕方なく1人で夜の街へと出かけてみたものの、居酒屋が軒を連ねていた昔の光景はなく、家族向けのレストランが並んでいるばかりだった」(p96)。「居酒屋が軒を連ねていた」原因を「社員は正当な人事評価システムではなく、仕事や仕事関連の付き合いに費やした時間の長さで評価された」と、社会システムの問題に求めつつ、第4章「女性が日本を救う」において「2050年の日本はますます若々しく、強靭な国へと成長を続けている」原因を解き明かしています。
ここでは「特命日本再生委員会」が描いたシナリオそのものではなく、委員会がなぜ「女性が日本を救う」と考えたかの理由に着目します。ずばり、それは労働力不足です。2017年時点の想定によれば、「やがて年間に100万人以上も人口が減り、日本人は2300年に絶滅する可能性があることになる」(p96)。「もちろん、そうなるよりずっと前に、日本そのものが社会として機能しなくなるだろう」(同)。そこで「特命日本再生委員会」は遅れているこの分野に注目。女性就業率をOECD平均に引き上げるとGDPは4%増加、北欧並みに引き上げるとさらに4%増加するととらえて、保育施設の増加や税制改正のみならず、「深く染みついた企業慣行や社会の意識」(p101)を変えるべく、システムそのものの大胆な改革を提言。移民によりカバーする分野との総合的効果も検討されています。
両親とも働いているとなると、果たして「居酒屋が軒を連ねていた昔の光景はなく、家族向けのレストランが並んでいる」ことになるかどうか不明ですが、とりあえず、「彼は満開の桜に彩られた2050年春の日本を旅していた。35年前にきた時とは、街のようすが何か違う。昔より大勢の子どもや若者が駅に溢れ、道を自転車で駆け抜けている」(p95)、という将来像には期待したいところです。

もう1つの「地域個性化」。これは第10章のテーマの地方分権とからみます。それは、「日本が抱えている問題は経済ではない、政治なのだ」(p289)という「特命日本再生委員会」の結論によるもの。「日本人は自己責任に任せれば、驚くほど革新的で生産的な国民だ。だが、政治や官僚の厳しい管理下では全力を出し切れず、優れた資質を十分に発揮することができなかった」(同)。そうした視点からは「地域個性化」というより「地域自己革新」とネーミングした方が適切だったかもしれません。
「この劇的な進化をもたらした地方分権化政策を採択するまで、再生委員会は長い時間を費やして集中的に議論した」(p290)。その論点は3つあり、第一に競争は地域に革新をもたらすこと、第二に東京への集中が経済の低迷の原因であるばかりか安全保障上も非常に危険であること、第三に東京集中により地方には高齢者と生活困窮者ばかりが取り残され政府の補助金だけが頼みの綱になってしまうかもしれないことでした。