『GLOBAL GENTRIFICATIONS』

Loretta Leesら編、Policy Press 2015刊。
このタイトルを見たとき、「えっ?」「グローバルな視点でジェントリフィケーションを考えようということは、A国の富裕層がB国に押しかけた結果、B国の低所得者層がはじき出されてC国に行かざるを得なくなる、、そうするとC国の低所得層と新たにC国にやってきた人々との間に軋轢が生じ、、、」などという恐ろしい未来像に関する研究なのかと思いました。けれどもどういう本か読んでから注文するわけにもいかず、「ともかく新しい都市現象を論じているにちがいない」とA社に注文。
読んでみると、、、
第1章が総論、第22章がまとめで、その間の20章はあえてカテゴライズせずに各国の「gentrification」をそれぞれ論じる、という内容でした。アテネにはじまり、リスボンアブダビ、リオ、インド、カイロ、イスラエル、ソウル、カラチ、ブエノスアイレス、タイペイ、イスタンブールプエブラベイルートラゴス、中国、サンティアゴマドリード、ダマスカス、ケープタウンです。(国名の場合はその国の諸都市)

本書の特徴は、取り上げられている都市名・国名からわかるとおり、いわゆる英米その他の先進都市の観察にもとづく「gentrification」が果たして普遍的なものなのかについて疑問を持ち、さまざまな国で「gentrification」とはどうとらえられているか、そもそもそのような概念が無い場合にはどのようにとらえられそうか、とらえるべきか、そのとらえたことはどのような次元、枠組みで評価できるか等について、20種類のglobal gentrification「s」を描き出したところにあります。
その内容ですが、20種類の「global gentrifications」が単に並んでいるというよりも、1つ1つの「gentrification」が結局、その国、その都市の社会階層の集合の仕方、市街地のつくられ方、最近の都市計画の仕方などとかかわっていて、「gentrification」という「切り口」を通してその動態を観察することによって、その国(の都市や都市計画)の特徴が、グローバルな文脈の中で明確に浮かび上がる、という読み方もできます。さらにいえば、現在大きな課題・話題となっている「格差拡大」「EU離脱」「トランプ現象」などの出発点にある、ベルリンの壁崩壊以降のグローバリズムが、各国都市でどのように表れているかについて、かなり具体的に、ある意味理論的にそれぞれの章でとらえられていると思います。
たとえば、かつては低所得者のニーズや声は地域の自治体や議員が吸い上げていたインドでは近年、ひとつには「世界都市」をめざすエリート層中心の中央政府の政策等によって、もうひとつには台頭してきた中間層によって相対的にその力が弱まり、そのあらわれとして「gentrification」が起こっているとされます(⇒関連記事)。そこでは「gentrification」がテーマのようにも見えますが、実は、ここで示されているのはまさにベルリンの壁崩壊以降のグローバル化に対応しようとした政府と、経済成長によって台頭してきた新たな中間層とがメインプレーヤーとなって、これまでの都市を大きく変えていく(transformation)動態そのものであるととらえることができます。「gentrify」される側の様相もさまざまで、「gentrify」する側もさまざま。従って、都市にあらわれる姿もさまざまなものに。そこだけ見ると単に「gentrification」が20例並んだつまらない本になってしまう。さらにいうと、副題の「Uneven development and displacement」を文字通りとると「よくある月並みな」本に思えてしまいそうですが、まさに読み方次第。ラゴス都心部近くのMaroko地区11425ヘクタールの住民ががまるごと立ち退かされた(p320-323)と書かれている箇所だけみても(まだ詳細は未確認)、それが横浜市(43740ヘクタール)の4分の1の規模(市街化調整区域4分の1を引くと、市街地の3分の1)と考えると、他国のこととはいえ、無関心ではいられません。

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・CONTESTING THE INDIAN CITY(都市イノベーション開墾 第31話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160121/1453346049