「都市計画と都市イノベーション〜ヨコハマを通して考える」

先週開催された「まちづくりセミナー」(都市計画協会主催)で、「都市計画と都市イノベーション〜ヨコハマを通して考える」というタイトルで話をする機会をいただきました。
主な対象は自治体職員。「右肩下がり」「消滅可能性都市」などという元気の出ないご時世の中で、どのような着想で都市計画・まちづくりに携わればよいかを、横浜を通して考えてみようとしたものです。せっかく横浜で開催するので、ということで横浜を「ヨコハマ」としつつ、歴史的視点から「都市計画と都市イノベーション」の関係をつかんでみようとしたものです。

そのように準備してみると、普段きちんと考えていなかったことが整理でき、意外なおもしろい結論が出てきました。
第一。「イノベイティブな都市計画を進めた要因」としては、外圧や大災害や外からの圧力など、対処しなければならない要因がそれぞれの時代に強く働いた。
第二。「誰がそれを担ったか」については、 「都市計画」というと行政が中心のようにみえるが、むしろ、居留地の外国人であれ民間企業であれ市民であれ、それぞれの時代にやむにやまれぬニーズや現実があり、それを行政が真剣に受け止め「都市づくり」に転じた。
第三。「具体技術等」については、あえて法則性をあげるとすると、現場のニーズを行政的に現実的に受け止めつつも、1)既存の制度に頼ることなく(頼れるものがなく)、2)行政だけで解決するのではなく公社や融資や民間人の力や外国人の力や市民の力を最大限借りながら、3)その枠組みづくりやシクミづくりにおいては行政がリードして、4)その場その場の特殊解を積み上げてきた、そして、5)常により良いものをめざした結果、6)そこにイノベーションが起こり、7)そうした精神がヨコハマで伝えられてきた。

特に第一の点がこのような結論になったことは意外でした。「イノベーション」というと何か特別なシカケや特別な人材がからんでいて「他にはできないことをやった」風に考えがちですが、設定としてはある意味自然に出てきたものでした。もしそうだとすると、それぞれの地域で「対処しなければならない要因がそれぞれの時代に強く働」いたときに、どれだけ第二、第三の切り口を地域独自に打ち出し実行できるかがやはり基本ではないのか、今もまさにそのような時期にあるのではないか、ということで話を終えました。
本ブログの「都市イノベーション開墾」もこれが第93話。「ヨコハマを通して考える」今回の話もまだ粗削りの状態ではありますが、まずはこのような機会を与えていただいたことと、最後まで聞いていただいたことに感謝いたします。

[2017.3.9追記:『新都市』2017.2号に内容が紹介されました(p80-81)]