1500年の日本の都市人口

「1500年の都市人口」(⇒関連記事1)の日本編です。
応仁の乱で荒れ果て」ていた京都。しかし都市イノベーションworld的に重要なのは、荒れ果ててしまった京都のほうではなく、そのような古いやりかたでは世の中をマネジメントすることができず、商品経済や地方文化が台頭し各地に「都市」が発達して、新しいシステムが軌道に乗りはじめるまでに数々のイノベーションが産み出された点にありそうです。
「1500年の日本の都市人口」とは、まさにその時代の転換点。前回と同様に、ターシャス・チャンドラーによる推定値を、大きい順に並べてみます。

40000 京都(荒れ果てていたが最大)
35000 山口、天王寺、千代(仙台。35000〜36000)
30000 博多、堺、山田(伊勢神宮がある)
28000 柏崎
25000 鹿児島、安濃津(三重県の津市)、本願寺(大坂。25000〜26000)

原田伴彦(1942)の「室町時代の主要都市人口」というのもWikipediaには出ていて、京都が100000と推定されているなど、いくらか異なりますがここではその差は扱いません。
また、チャンドラーの推定で「天王寺」と「大坂」を今の感覚の大阪と考えてくっつけると60000超となり、京都の首位が危うくなります。けれどもむしろ、近畿圏として堺や山田、安濃津を加えて、京都-本願寺天王寺-堺-山田-安濃津あたりに日本の中心があり、その他パラパラと地方都市が特に港湾都市としてまあまあ育ってはいた(山口だけが例外)、ととらえた方がよいかもしれません。原田伴彦の推定に出てくる都市をあげると、直江津(30000,1570年代)が目立ちますが、あとは20000人以下の小さな港町や門前町など。いわゆる城下町はまだ未発達の時代。
このあとどうやって城下町(など)の形で都市が進化してくるか。『信長の城』(⇒関連記事2)や『城下町』(関連記事3)は、そのような成果を実証的成果も踏まえて理論的に論じたものですが、むしろ、司馬遼太郎の『箱根の坂』(駿府、小田原等。応仁の乱以降1477から1519頃まで)や『国盗り物語』(前半は特に岐阜。1520年代から1550年くらいまで)、現在低視聴率のNHK大河ドラマ『女城主直虎』(だいたい1550年以降。駿府や気賀などの街が出てくる。商品経済の発達のさまが、おもしろおかしく描かれている)などによって、あの時代の、最終的に「城下町」が都市計画されてできてくる進化過程がリアルにあぶり出されます!

[関連記事]
1.「1500年の都市人口」
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170502/1493734131
2.『信長の城』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130129/1359426558
3.『城下町』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130409/1365473723

【In evolution】日本の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757