祇園祭と都市の姿(京都と都市イノベーション(その4))

曳山の先が電線に妨げられて、「おいおい、このマンションの前、ちゃんと持ち上げてないやん」と急ぐでもなく上空を見上げていると、木の長い棒が持ち込まれて、ヒョイよっと、3本の線を次々にくぐって前進。周囲からは暖かい拍手が。
3年前には、交通整理等のやりやすさから1回にまとめられてしまっていた山鉾巡行を48年ぶりに前後2回に復活。これが本来の姿。本来の姿というなら、前祭の巡行で通る御池通りは元は三条通りだったようで、その復活を望む声も。ただし、かつてはメイン通りだった三条通りはとても狭く、都市計画として開削されたのが御池通り。今では高層マンションが建ち並びます。
一昨年の道路断面のリ・デザインで歩道が広くなった四条通りの信号機は、巡行のじゃまにならないように折り畳み式。その四条通りも宵々山、宵山では歩行者天国となり、暮れゆく風景のなかに鉾が点々と浮かび上がる幻想的な雰囲気に。

大震災や富士山大噴火、飢饉や疫病の流行が重なった貞観という時代に、悪霊を鎮めようと「御霊会(ごりょうえ)」としてはじまった祇園祭
応仁の乱で中断されるも復活したその精神は、近代化による都市のさまざまな変化もはね除けて進化し続けるのでしょう。都市の変化が祭を変え、祭のありかたが都市のありかたをも変えていきます。

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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170122/1485042921