レッチワース再訪

毎年この時期に「理想都市」をテーマに90分の話をしています。産業革命と「近代化」に伴う都市問題を解決するべく、ニューラナーク、ソルティア、ボーンビル、ポートサンライトなどの試みがあり、やがてハワードにより「田園都市論」が提唱されレッチワースで実践される、、、

昨年暮れ、およそ四半世紀ぶりにレッチワースを訪ねました。ちょうど『明日の田園都市』の新訳(山形浩生訳、鹿島出版会、2016.10.10刊)がとてもわかりやすかったと「理想都市」の授業で学生が教えてくれたこともあり、すぐに確認し、「都市イノベーションworld」的観点で改めて重要と感じたことを書き留めることにしました。
第一。新訳の「訳者あとがき」でレッチワースは「ニュータウン」につながるとされていますが、実際にその場に行ってみると、普通の町(「タウン」)に出会います。「ニュータウン」につきものの画一性や大量性、空間の劣化はみられず、最初に設計・計画された際に入念に、1つ1つの建物、1本1本の街路が多様につくられています。100年を経てもその姿は受け継がれています。建築家の役割が町のレベルで大きな意味をもつイノベーティブな先進事例といえます。
第二。そのように書くと更新も起こっていないのではと心配になりますが、持続性を保つためにタウンセンターや諸施設には手が加えられており、地代を中心とする豊かな収入が町に再投資されることで、持続的な経営が行われています。「エリアマネジメント」が100年以上前から行われている。さりげなく「普通の町」にみえるその仕組みについてはこれまで多くの研究論文が書かれてきました。今日においてもこの分野でのパイオニアでありつづけているのだと思います。職員の規模からみるとこれは「エリアマネジメント」のレベルを超えて、自治体経営そのものに近いものかもしれません。
第三。「ニュータウン」についてみると、それが公的主体であっても、普通の民間主体であっても、「開発利益を回収して再投資する(し続ける)」仕組みを構築し持続的に維持することはなかなか難しい。あるいはそもそもそうした発想が無いのが普通です。今この時代に実践せよと言われてもとても困難なこの課題を実践し続けているレッチワースに今でも訪問する人が絶えないのは、この部分をなんとか学びとりたいと思うところが大きいのだと思います。
第四。昨年暮れの12月29日の記事『THE VILLAGE NEWS』と関連しますが、レッチワースの雰囲気は少し大きな「ビレッジ」という感じです。まさに「都市」でもなく「いなか」でもない、「都市」と「いなか」のよい点だけをとって融合させた新しい「田園都市」。
第五。ここは多様な住戸が選択できるという意味でも、「普通の町」に近いのかもしれません。
第六。今回歩いてみて特に感じたことは、田園都市建設前の地形や水系をうまく活かして設計・計画を行っていることです(第一の点)。そのことによって空間に多様性や自然に囲まれた雰囲気が生まれ、周囲の風景との連続性が生まれ、「ニュータウン」感を低減させているように思います。