紀元前後の都市人口

「1500年」からさかのぼって「1200年」「800年」ときました。最後は「紀元前後」とし、「100年」のチャンドラーの推定人口をみてみます。

ローマ 450000
洛陽 420000
セレウキア 250000
アレクサンドリア 250000
アンティオキア 150000
アヌラダーブラ 130000
プルシャプラ 120000
カルタゴ 100000
呉(蘇州) 90000-100000
スミルナ 90000

さすがに???の都市名が多いですね。調べてみると「セレウキア」は「アンティオキア」の前の現イラク地域の中心地。「アラヌラダーブラ」はスリランカ中北部の、「プルシャプラ(現ペシャワール)」は現パキスタンの、いずれも仏教で栄えた都市。「スミルナ(現イズミル)」は現トルコのエーゲ海に面する都市。なお、チャンドラーの推計値は低めになっていると評価されていて、ローマの人口「450000」も他の推計では一般に「1000000」とされます。
最後に「洛陽」の420000ですが、以前の記事(⇒関連記事1)で「順帝の時代(125〜144年)には、首都の洛陽の「太学」(大学)は240房、1850室の大規模なものとなり、太学生の数はやがて3万人を超えるにいたった」とする文献を引用しています。水道を遠くから引いてきたローマの技術力もすごいですが、大学生が何万にもいたとされる洛陽もすごいです。
念のため、これ以前に人口1000000に達していたと推定されているのは唯一、紀元前100年の頃のアレクサンドリアです(⇒関連記事2)。

[関連記事]
1.纏向遺跡再考〜グローバルな視点から (2017.10.12)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20171012/1507782004
2.Sunken cities (アレクサンドリア開墾)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160523/1463991285

【in evolution】世界の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168
【In evolution】日本の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757