「1970年大阪万博」レガシー(大阪と都市イノベーション(その4))

「このハンバーグは、月から持ち帰った石と同じ大きさですョ!」
「……?、……!」
その徹底ぶりに驚き店内を見回してみると、「世界の国からこんにちは」などのディスプレイが全面に。
これは、「エキスポランド」が破綻したあとプロポーザル方式で選ばれた「エキスポシティ(=ららぽーと)」での一駒。ららぽーともここに立地すると〈1970年レガシー的〉になります。というより、「エキスポシティ 」はただのららぽーとではなく、まさしく「エキスポシティ」になるようデザインされた、ここにしかないららぽーとなのでしょう。
そのような目で万博跡地をみてみると、1970年代に描いた未来都市が2018年の今、現実となって「そこ」にあらわれていたのでした。これこそが「1970年大阪万博レガシー」ではないかと。

第一。国土レベルにアクセス可能な広幅員幹線(大阪中央環状線)が中央を貫き、モノレールがスイスイ客を運びます。その姿は、1970年当時よく描かれていた未来都市の姿そのもののようです。
第二。太陽の塔がその中央に輝き、「人類の未来」をみつめます。この芸術作品の内部を再生・公開しようとする動きは前からありましたが、建築基準法上の耐震問題等でなかなか公開できなかったものが、「48年後」の本年から一般公開(予約制)されています。2018年は1970年からみればかなり「未来」ですが、太陽の塔はいまだに未来をみつめているように見えます。
第三。冒頭のエキスポシティ。1970年当時の未来に「オレも入れてくれ」といった感じで万博記念公園に収まっています。レトロであり現在でもあり、おそらく未来も志向した施設。1970年の万博の入場者は6400万人。エキスポシティは年間でおよそ3000万人が来場する施設です。
第四。エキスポシティができたとき、ガンバ大阪の本拠地「パナソニックスタジアム」もその向かいに完成しました。万博が終わった後できた「万博記念競技場」がサッカーの国際基準に適合しなくなり、民間の募金により建設された新時代のスタジアムとされます。昭和初期の大阪城天守閣再建の際も市民の寄付が殺到したとの逸話も引き合いに出される(呼びかけたのは当時の関一市長。『スポーツ事業マネジメントの基礎知識』東邦出版、p125)など、民間レベルのエネルギーをイノベーションに結びつける力の伝統を感じます。

「レガシー」というと何か過去の遺産をそのまま受け継ぐといったニュアンスが先に立ちますが、未来を指向していた過去の遺産を受け取るとき、それは既に未来的であるといえそうです。その「未来」感の中には「1970年の未来観」や「1970年はあのような熱気だったネ」というレトロを伴う未来感や、「これからのスタジアムのあり方」のような未来観などがごったに入り混じり、万博記念公園一帯に独特の雰囲気を醸し出しているのでした。

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