(文庫版)『ピラミッド 最新科学で古代遺跡の謎を解く』

未解明の部分が多いエジプト文明の都市。そもそもエジプト文明は長い間「都市なき文明」と言われていて、1998年の『古代エジプト 都市文明の誕生』(古今書院。古谷野晃著)でエジプト文明にも都市は存在したことを強調しているものの、「古代エジプト文明は、じつは「都市なき文明」ではなく、「都市をともなった文明」であったことが、徐々に立証されてきている」(p151)。しかし、「エジプトにおける都市起源の問題は、実証研究がむずかしい。永い時の流れのなかで、かつての都市の面影・景観を示すようなものは、そのほとんどが消滅してしまったり、ナイル河の厚い堆積土の下に埋没したりしてしまったからである」(p159)。そもそも「都市」とは何を指すかという定義からはじめなければならないことも含めて、やっぱりわからないことのほうが多い。
本書『ピラミッド 最新科学で古代遺跡の謎を解く』は最新科学によるピラミッドに関するここ20年くらいの最新成果をまとめたもので、ピラミッド自体の解明の部分も多いのですが、ここでは「ピラミッド・タウン」に絞ってその都市イノベーション的様子を紹介します。河江肖剰(ゆきのり)著、新潮文庫2018.4.1刊。2015の単行本に第12章(最新研究解説)を加え文庫化。1998年刊の『古代エジプト 都市文明の誕生』ではエジプト文明の都市を「ピラミッド都市」を含めて12種類列挙し解説しているので、ある意味「ピラミッド・タウン」がわかったとしてもほんの一部しかわからないと考えられなくもないのですが、エジプト文明を象徴するピラミッドの建設のための都市のことがわかるようになると、12分の1というより、かなりの部分がわかるようになる可能性があるのではないかとワクワクします。

「ピラミッド・タウン」は狭く考えるとピラミッド建設のための居住地ですが、王がピラミッドをつくるたびに居住地は基本的に移動していた(すぐには無くならないかもしれないがいずれ放棄される)と考えると「ピラミッド・タウン」そのものがエジプト文明の典型的都市といえなくもない。日本だって当初は天皇が変わるたびに遷都していたわけだし。
この著者が関わる発掘作業が最近進んでいて、労働者街である下町だけでなく、身分の高い人が住んでいたと思われる「西の町」の発掘も最新の成果。
まだ発掘の最中で、しかも王の居住地跡が出てくるかもしれないと期待される「下町」と「西の町」の間の土地は現在サッカー場で、現在の下町の子供たちのために作ったもののようです。発掘のためにサッカー場を移転すると決定したあと、「アラブの春」が起こり、発掘作業自体もままならぬ状態に。
本書を貫く視点でおもしろいのは、等身大の人間の側から素直に解読しようとする点です。特に「ピラミッド・タウン」で働いていた人たちは、奴隷のようだったのか、いいものを食べてそれなりに良い職場だったのか。これを「実験考古学」により解明すべく、プロの協力を得て、当時使ったであろう材料と調理法によりパンを焼き、それを考古学成果である住居跡の労働者数に割り振り、どんな生活をしていたかを定量的(カロリーなど)・定性的(ビールや他の食材の推定など)に類推。労働者は「大量消費を享受していた」と結論づけます。

発掘現場のギザも、グーグルの航空写真でみるとジワジワと宅地開発で取り囲まれつつあるようにみえます。下町の子供たちのためのサッカー場もそのあらわれ。カイロという現代都市の拡大が先か、古代エジプトの都市発見が先か。そのような新旧共存・葛藤の動向こそがエジプトのおもしろさ、奥深さなのかもしれません。

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