歴史的建造物(商館・邸館)は誰が保存継承しているのか? (ヴェネツィア都市イノベーション(2))

横浜の近代的歴史建造物は毎年のように惜しまれながら取り壊されたり壁面だけ保存されたりしています。横浜山手の洋館も同様に、行政の力だけでは支えるのも限界があり、次々と無くなっているのが現状です。
街全体に歴史的建造物がぎっしり詰まっているヴェネツィア、なかでもカナル・グランデに沿って「いかにもヴェネツィア風」に堂々と立ち並んでいる商館・邸館群はどのようにして今日まで継承されてきたのだろうか?というのが実際に見ていだいた疑問です。ここでは、『Grand Canal A History of Venice』(ARSENALE EDITRECE、2013.12刊。第2版。第1版は2009)という図書を頼りに「都市イノベーション」の本質にかかわりそうだと思われる事例やエピソードをいくつか見ていきます。
第一。グラッシ邸。大運河沿いの建物としては“最後のモニュメンタルな邸館”とされる、ガイドブックにも載っている有名な邸宅ですが、実はこの邸を1748年に建てたグラッシ家は大金を払って高貴な称号を手に入れ(1718年のこと。当時ヴェネツィアオスマントルコとの戦争で疲弊していて資金が欲しかった)ヴェネツィアに拠点を築いた、とされるように、世界中の国や貴族等がなんとかこの運河沿いに栄誉ある館を築こうとしていたさまがうかがわれます。そのグラッシが1842年に亡くなると(生前の1840年に既に売却されていたが亡くなるまでの居住は認める条件だった)、1844年にオペラ歌手(Angero Poggi)が購入。しかし翌年1.4倍ほどの値段で転売されます(土地ころがし!邸ころがし?)。この邸はホテルに転用。しかし早くも1857年には貴族が購入。などと続きます。(少し時間が飛んで)1950年代にこの邸はヴェネツィアの産業家に購入されて国際アート・コスチュームセンターに転用。1984年にはイタリア最大の自動車会社フィアットが購入。大きなイベントに対応できるよう改装工事を施します。さらに2006年にはファッション産業界大手のピノーに売却。現代美術にふさわしい空間として安藤忠雄による改装がなされて、現在、国際的にも高い評価を受けています。(グラッシ邸の転売の経緯の一部は『Palazzo Grassi Venice』Skira Guides,2007を参照している)
第二。時代をさかのぼって15世紀前半に建てられたカ・ドーロ。「ビザンティン時代の商館を模した」建物とされます。19世紀初頭には“廃墟ビル”と言われていたようですが19世紀中葉にロシア皇太子が著名なバレリーナへの贈り物として購入。このバレリーナは“ヴェネツィア邸館コレクター”とも呼ばれ、自ら居住する邸のほかにいくつも邸館を所有。皇太子はあるとき改装を思い立つのですが、オリジナルの重要なデザインを壊してしまい、残念なことだとされた時期もありましたが、「1922年に1894年から所有者であったジョルジョ・フランケッティ男爵から国家に遺譲された。往時の華やかさを取り戻すべく大々的な修復が行われ(階段の再建も含む)、現在はギャラリーとして一般に公開されている。」(Wikipedia)とされます。まさに「カ・ドーロ邸物語」です。
最後にもう1邸。さらに歴史をさかのぼり13世紀初頭の話。「トルコ人商館」という名の建物。主に東方貿易の商人たちの商館とされる建物です。歴史が長い分、売ったり買ったりあげたりの話が延々と続くので省略。直接トルコが登場する部分まで飛ぶと、17世紀になって(その時点の所有者の)ヴェネツィア政府は出入りしていたトルコ人にこの建物をホテルにして貿易をしながら滞在できるようにとオファー。しばらくそのように使っていた(建物の1階部分は大運河に面して荷揚げスペースがある)が、オスマン帝国との関係悪化等のため貿易も不振に。1732年にはビルの一部が崩壊してしまいます。しかし1838年に“palazzinaro(投機家)”が購入。リノベーションして高級アパートに。1860年には当時オーストリア帝国支配下にあったヴェニス市によりこの建物は買い上げられさらに転用されます。今日、市立自然史博物館となっているのがこの建物です。と書くとすぐにアクセスできそうにみえますが、この建物はヴェネツィアで最も到達しにくい建物でした。運河からは行けず、迷路のような路地を何度も失敗しながら到達できた所です。

以上、代表的と思われる事例を3邸ほどみてみましたが、『Grand Canal A History of Venice』には44邸の物語が書かれており、1つ1つがとても興味深いです。やや趣味的なきらいもありますが、ヴェネツィアの「顔」となるカナル・グランデの商館・邸館の物語はヴェネツィアという都市そのものの物語であり、その建物の建築時期により多様な表情があらわれ、一見手を加えられていないように見えながら何度も改装され、朽ちようとするたびに新しい所有者・投資者・改装者があらわれる。やはり「あそこに」邸を構えることの栄誉がそうさせてきたのでしょう。そのような「栄誉」ある場所を少なくともこれまで長く維持してきたことが、ヴェネツィアという都市のイノベーションとパワーの象徴なのだと感じます。

【in evolution】世界の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168