『気候適応の日本史』

タイトルに惹かれて2022.3.1発行とされるこの本(吉川弘文館歴史文化ライブラリー544、著者は中塚武)を読みました。

「人類は先史時代から極寒の北極圏でも、灼熱の砂漠地帯でも、熱帯雨林でも、絶海の孤島でも、南極大陸をのぞく地球上の陸域のほぼすべてで生存しており、地球史が始まって以来初めて気候帯の束縛を完全に打ち破った生物種」(p40)である。とする著者(ら)が取り組んできた、年輪により地球上のあらゆる時代、あらゆる場所の気候変動を明らかにしようとする古気候学の紹介の図書です。

まだ日本では着手したばかりの学問分野ですが、世界的には古気候データベースが日々システマティックに蓄積され特に米国大気海洋局のそれは、気候・降水量・河川流量・干ばつ指数などの気象要素や、「プロキシー」と呼ばれる樹木年輪や氷床コアの同位体比などのデータが引用論文の情報と共に大量に紹介されているとされます。

まだ形成途上の枠組みではありますが、「日常生活を支配する」短期変動や、「人類を運命づけた」長期変動に比べて中期変動(数十年周期の変動)については人類に大きなダメージを与える割にわかっていないことが多い、との切り口でストーリーが描かれます。

 

話が「人類すべて」にかかわる大事なこと、となり壮大なため、すぐに参考になりそうな点だけを主観的にいくつかあげます。

第一。「気候適応の日本史」というテーマ自体が魅力的。本ブログでもドバイに行き「訪れた夏はというと、日中は45度から47度になりました。世界で最も暑くなる地域です。これに熱風が加わると、ドライヤーを自分の方に向けている感じ。日陰のドアノブも熱くなっています。なるべく体を布で覆い、陰から陰へと(できればクーラーの効いた室内へと)サッと移動しないとたまりません。夕方になると涼しくなるとも限らず、日没頃に熱風という日も。やはり、ピーク時間は室内暮らしにならざるを得ず、屋内型モールが発達。」(⇒ドバイ開墾(2))と書いたように、「灼熱の砂漠地帯でも」人類は都市をつくってきたばかりかこのドバイ―アブダビ地域は1000万人の巨大都市圏にならんとしているエネルギーを感じました(⇒ドバイ開墾(8))。もちろん、「屋内型モールをそんなに造って、地球環境のこと考えているのか」と批判することも可能ですが、それは、「地球史が始まって以来初めて気候帯の束縛を完全に打ち破った生物種」の問題ともいえます。(本書では人類のみが特別な存在としますが、生物もその進化によって人類よりはるかに多様な気候・場所で日々生きているものと思われます。)

第二。年輪の分析でかなり古い時代の気候まで客観的にわかること自体が重要です。断片的あるいはアナログ的な理解にとどまっていた歴史的な事象に対してこの客観的なデータを照らし合わせることで、より正確に、シャープに「歴史」がくっきり浮かび上がる可能性もありそうだと期待がもてます。

 

以上はいずれも「気候適応の日本史」というより「世界の気候変動を読み解く古気候学の可能性」。その可能性を少しでも高めるために、世界中の研究者らが協力してデータベースを日々システムとして蓄積していくことは重要です。とはいえ、それを「歴史」とからませながら解釈する作業はこれからの課題。1つ前の記事の1万年前の富士山からの溶岩流も、3つ前のインダス文明とは何だったかについても、年輪だけでは読み解くことが難しそうです。さまざまな「プロキシー」が蓄積されそれらを関連づけて分析でき、そのうえでさまざまな他の分野の蓄積が進んできて、仮説が豊富化しある程度の検証ができるようになってくると、徐々に、1つ1ずつ、わかることが増えてくるかもしれない、という時間軸の長さを感じます。

そのような可能性をもつ図書としてとらえ、カテゴリーを「災害に備える」とします。

 

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