どうする家康、どうなる日本の都市 (都市は進化する128)

昨日、『どうする家康』の初回が放映されました。これから本ブログでは、「どうなる日本の都市」の視点から、1年間伴走してみたいと考えています。というのもこの時代はやがて「城下町」という形で日本の都市、都市地域が発生し形成される重要な時期だからです。

さっそく第1回では、本格的な「都」を感じる駿府に対して、家康の故郷岡崎の田舎ぶりが強く強調されていました。駿府は「東国の京」「東国の都」などと言われていたようなので、かなり早い段階から都市的な場所だったのでしょう。すでに昨日首をとられてしまった今川義元も京の建仁寺(霊源院)や妙心寺に学び、駿府の都市づくりにもそれは反映されていたと考えられます。家康もまたそうした環境で「人質」時代を過ごして都の素養や基礎的教養を身につけたのではと思います。

まだ浜松も出てきません。

また、ドラマからどれだけ「どうなる日本の都市」が垣間見れるかはわかりません。そういうことなら信長や秀吉を通して見るのが常道なのかもしれません。

けれども今回見たいのは、単に元気な城下町がポツポツと出てくるだけではダメで、それらが「260年以上も平和が続いた」国土構造を伴いつつ、各都市・地域が競いながら共生するような持続的システムを、いかにつくりあげたかという点です。


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【In evolution】日本の都市と都市計画
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