『見えがくれする都市』再読 : 「Vision 2034 Tokyo」の観点から (都市は進化する209)

「Vision 2034 Tokyo」の柱の1つUrban Walkの新テーマ「尾根を下る」「川辺を遡る」で、「川辺を遡る」のほうは少し手がかりが見えてきた感じがしているのに対して、「尾根を下る」のほうはどうしても説得力ある切り口のようなものが見えてきません。

そこで、時々このようなときに参照している『見えがくれする都市』(槇文彦他著、鹿島出版会SD選書162)を「尾根を下る」「川辺を遡る」の観点から読み直してみました。ここでは読み取った結果のみを短く整理し、「Urban Walk」の糧とさせていただきます。

最初の3点は本書のエッセンス。

第一。都市空間を読み取るという意味で「Ⅰ都市をみる」が総論となっていて(p17-62)、都市計画論・理論を考えるうえで重要な議論がされています。出版年の1980年からは40数年、「Vision 2034」を基準にすれば半世紀以上経っているので、その差異なども意識して読んでみると、いろいろな論点が浮かび上がります。なかでも「変わらない構造」の読み取りが重要で、それはこのパートの最後の文にもまとめられています。「新しい自立的な構造とオペレーションの原則が、どのように歴史という流れのなかでとらえ得ることが出来るかが、明日の都市づくりに対して我々に与えられた最も重要な形態上の課題であることを、「都市を歴史的に理解する」ことから我々は識るのである」(p52)。

第二。総論のもと、「Ⅱ道の構図」「Ⅲ微地形と場所性」「Ⅳまちの表層」とつづき、最後の「Ⅴ奥の思想」がまとめというか、本書での主張であり全体にあらわれるライトモチーフ(あるいは切り口)のような押さえとなっています。ⅡとⅢあたりに「尾根を下る」「川辺を遡る」とも重なる知見や参考図書、事例が見えかくれします。特にp98-99の「幕末の江戸の土地利用」は授業などにも使わせていただく貴重な資料となっています。

第三。本書のライトモチーフ「奥の思想」は絶対的な中心性をもつ欧州の「「中心」の思想」と対置されつつ、締めくくりの言葉へと至ります。「今、日本の都市はかつてなかった激しい近代化、高密度化の洗礼をうけている」としつつ、「矮小化された自然」と「土地に根差した場所性の喪失」がますます促進されることによる「奥性の飛散」をシナリオ1として憂慮しています。それに対して「たとえ部分にであれ、現在の状況の中でも、再び都市の空間に奥性を附与すべく、利用しうる古い、あるいは新しい空間言語と技術を使ってその再生を試みることである」とのシナリオ2を示し結んでいます(p229-230)。

次の3点は「Urban Walk」「Vision 2034」の位置づけへの橋渡し。

第四。思想レベルの「奥性」に共感しそれを共有しつつ、都市計画の視点から空間の読み取りを行うことが基本と思われます。具体的には「Ⅱ道の構図」「Ⅲ微地形と場所性」で共有できる部分も手がかりに、『見えがくれする都市』から50年後の地球環境時代のTokyoの自然環境や災害時のレジリエンス、ポストコロナ時代の都市空間のありかたも加味しつつ、読み取るべき対象を探り出して読み取っていく。

第五。その手がかりを「尾根を下る」「川辺を遡る」(「丘の辺の道」「海の辺の道」)として設定していると考える。「奥の思想」を尊重しながら、都市計画の立場から「Vision 2034」の基本要素のようなものを掘り出してみる。一度にはできないので、少しずつ見つけ出していく。

第六。そして第三の点は、「たとえ部分にであれ、現在の状況の中でも、再び都市の空間に□□を附与すべく、利用しうる古い、あるいは新しい空間言語と技術を使ってその再生を試みる」(←□□は原文では奥性)。あるいは「その再生・創造のあり方を常に模索していく」。

 

⇒「【Urban Walk】(尾根を下る)」に組み込みました