江戸期日本の経済力 (都市は進化する275)

昨日(2025.1.3)の「大江戸ルネサンスサミット2025 (NHK BS)」では江戸後期の文化について楽しく議論が展開しましたが、本日は、「結局、江戸期の経済はどうだったのか」と話をひろげて理解しようと試みます。

特に、17世紀に盛んに行われた新田開発により耕地面積は2倍になり、人口も2倍ほどに膨れあがった(=a)(出典により幅がある)にもかかわらず、18世紀を通して人口は停滞し、減少した期間さえある(=b)。そして19世紀に入るとバブルともいわれるような時代になり昨日のサミットでの議論のような様相を呈する(=c)。このような動態について、客観的でかつ便利な指標のようなものはないものか。と思ったとき、本ブログでも以前とりあげた『世界経済史概観』にデータがあるかもしれないと気づきました。

取り出してみると、磯田道史氏の「半歩遅れの読書術」(2022.2.20 日経新聞)がはさんであり、そこに磯田氏による解釈がかなり書かれていました。よく見るとほぼa、b、cの順に解釈が書かれ、cについては、本ブログでも以前引用させていただいた下記の文章につながります。

「ペリー来航前の1820年、日本のGDPは米国より大きく、約1.65倍あった。人口も米国の約3.1倍。これが教科書にない19世紀日本が独立を保てた要因だ。」

 

ここでは『概観』の中から、abcに関連する最低限の数字をあげてみます。(日本のみに着目。GDPはドル)

        1000 1500 1600 1700 1820 1870 1913  
1人当たりGDP  425   500   520   570   669   737 1387  
人口 (万人)     750 1540  1850 2700 3100 3444 5167  

なお、変化率を1600⇒1700⇒1820⇒1870の間でみると、
1人当たりGDP      109.6 117.4 110.2
人口                    145.9 114.8 110.1

 

先の磯田氏の解釈を一部引用しつつポイントを並べると、

第一(aについて)。1600年代に人口は確かに大きく増加したが1人当たりGDPはあまり上がっていない。イメージとしては、新田開発で「多くの民が食える」ようにはなったけれども「1人当たり」にするとあまり豊かにはならなかった(国力としてはだいぶ上がっている)。こうして「1700年頃、日本の耕地開発は当時の技術限界に達した」(磯田)

第二(bについて)。1700年から1820年までは人口はあまり増加しなかったが、1人当たりGDPは絶対額ではいくらかは伸びてきた。「みな勤勉に働き、字を覚え、嫁いで家を興そうとし始めた。だが、草刈り場や灌漑などムラの資源は有限だ。(以下、人口が伸びない社会システム上の理由)」(磯田)

第三(cへの変化)。(上記数字だけでは読めないが)「年貢は通常、定額となり、二毛作の裏作は無税。兼業の手工業も無税。商業も税が軽い。人口抑制下、勤勉・高識字率の労働力が税負担の軽い手工業・商業にまい進すれば、所得水準が一気に上がるのは当然だ。」(磯田)

 

なお、なぜ1700⇒1820⇒1870などという半端な数字になっているのかとの疑問もあるかもしれませんが、全体を示すと、1,1000,1500,1600,1700,1820,1870,1913,1950,1973,2003と区切られていて、ローマ時代から現代までの、世界比較するうえでのポイントとなる年代が切れ目になっています。ここでは世界比較は控えるとして、日本の「1人当たりGDP」は(西暦)1年が400ドル、1000年が425ドル、1500年が既述のとおり500ドルです。弥生時代も紫式部の頃も江戸初期も「暮らし」としてはそうは変わっていなかった、、、。逆に、上述の1387ドルのあとをみると、1950年=1921ドル。1973年11434ドル。2003年21218ドル。

 

話を戻してまとめると、明暦の大火(1657年)はaのような全国で人口が倍増する(江戸も同様)ような時代の、蔦屋重三郎の活躍する18世紀後半はcが全開となる少し手前あたりの、賢い消費者が全国で増大している時代の歴史、と理解することにします。

 

それにしても、こうした基礎研究というのはすごいの一言です。

 

 

[関連文献]
『明暦の大火』と江戸の都市計画・再論

 

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【In evolution】日本の都市と都市計画
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