劇場都市

今朝の日経朝刊に「TOKYO 劇場都市への課題<上>」という記事が掲載されました。

まだ<上>なので気が早いのですが、本ブログでも「文化・交流」面でロンドンに大きく引き離される東京について気にしたり(⇒関連記事1)、シェークスピアを生んだロンドンという都市文明について考えたり(⇒同2)しているので、このテーマが明日からどう議論されるか楽しみです。

本日の<上>に限ってみると、東京の劇場は分散していて「ブロードウェー どこ?」といわれてもしかたがない状態。記事では東急の渋谷にかける思い、東宝や東京芸術劇場の劇場に対する考えなどが紹介されています。

 

明日からの記事の展開とからんでしまうといけないので、ここでは、P.Hallが『CITIES IN CIVILIZATION』で展開していた、古代アテネ、フローレンス(ルネッサンス)、ロンドン(演劇)、ウィーン(音楽)、パリ(絵画)、ベルリン(劇場とシネマ)に共通する都市文明上の共通点についての議論についてまとめた本ブログの“超要約”を再掲します(⇒関連記事2より)

 

「特定の文化が特定の時代に特定の都市で花開いたのは、たいていの場合、経済的・社会的な大転換が起こっている只中にある。そこでは、新しいモードが生まれつつある。それが起こる都市は、その時代のいわば中心的な都市である。アテネもフローレンスも、ロンドンもウィーンも、パリもベルリンもそうだった。そこには富が集中し、文化を保護したり消費するブルジョアが成長している。そうした都市には国内外から才能をもった人々、特に若者が集まってくる。そういう意味でその都市はコスモポリタン都市なのだ。こうした新参者は、それまでの古い体制には馴染めず、力を発揮する場がなく、当初は貧乏生活を余儀なくされるかわりに、次の時代を切り開くために全エネルギーを集中する。そのなかから一種の革命的な成果があらわれる。それを後押しするのは、保護者・消費者としてのブルジョア、文化を流通させるシカケや資本の蓄積、その文化を大衆的なレベルにまでに押し上げる批評家やメディアであり、なぜそのようなことが可能かというと、それが起こる直前にはその都市には富が集中していたからであり、ますます集中していったからである。けれどもそのような状態はそう長くは続かず、次の時代へとはいっていく。」

 

[関連記事]

  1. https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20180130/1517303010
  2. https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20170601/1496308112

[付記2019.12.4:P.Hallの『CITIES IN CIVILIZATION』がついに邦訳されたようですね。藤原書店から『都市と文明』3分冊で。ただし、今出ているのは1冊目だけのようです。英語だと1冊なのでお勧めですが。]