能登半島地震から2ヶ月のまちを歩く(1) 液状化

今回の地震で液状化の被害が大きかった内灘町を線状におよそ2キロメートル歩きました。

応急危険度判定の貼り紙も参考に、その様子を言葉にします。2ヶ月後の様子なので、既に復旧の手がいくらか入った段階と思われます。(写真やデータは報道等で)

 

第一。液状化マップで示されていた危険度の高いエリアはやはり被害も大きいと感じられます。

第二。大地ごと動いた様子が、地盤自体の大きな変容により体にも視覚的にも伝わってきます。道路は傾き、めくれ、電柱は傾いたり沈んで短くなっています。

第三。このような状態なので、「宅地」はひとたまりもありません。元の状態もわからないほど変形したり、沈みこんだりしています。コンクリートやアスファルトはその大きなエネルギーにより壊れたままです。

第四。ここでようやく建築に。第一から第三のエネルギーがどうやって建築に伝わったか。地震動と液状化エネルギーと地盤自体の動きが複合すると思われ、さまざまだったと想像します。

第五。応急危険度判定の結果からみると、被害の大きかったエリアでは「危険」が半数をかなり超えているのではと思われます。建物の判定とは別に宅地の危険判定もかなりされています。

 

最近になって、こうしたエリアをどう復興していこうかという検討もされはじめているようです。

 

東日本大震災のとき、横浜でも液状化がみられ、大きな被害を受けたマンションもありました。震度5強の液状化だったと考えると、震度6弱、6強の揺れの際にはまた次元の異なるあらわれかたをするかもしれません。言葉で書いてみた第一から第五のような、大地と地盤と宅地と建物の大きな構造のようなものをイメージしながら再点検する必要があるのではないかと感じました。



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