能登半島地震から2ヶ月のまちを歩く(2) 市街地大火

1976年に酒田の大火があったあと、阪神・淡路大震災を除くと、数年前に糸魚川大火(正式には「大規模火災」)があり約4万平米を焼失しました。今回の大火はそれを上回る規模です。首都直下地震でも市街地大火が危惧されることもあり、今回の大火の原因と意味を、現時点で自分なりに整理してみます。本日、周辺市街地も含め輪島のまちを歩きました。

 

第一。出火が確認されたのは地震後1時間ほど経った17時23分頃とされます。当時「大津波警報」が出されていて避難した方が多く、そうでなくても市街地も大破しており、発見した地元消防団の方は仲間に連絡しますがいずれも現場に駆けつけられません。

第二。人手がないまま消化しようと川の水に頼ろうとしますが地盤が変化してしまったせいか水がほとんど出ない。

第三。そのため市街地内の防火水槽の水を使おうとしたところ今度は大破した建物で水槽へのアクセス路が塞がれて到達できない。

第四。水が得られないまま時間が経過し、火はどんどん大きくなってゆく。

第五。ある時点でもはや火を直接消し止めるのは断念して、燃え広がりを阻止する方法に切り替える。

第六。やがて海水を直接使えるようになり消し止める。

 

のちに、最初の出火の原因が、(阪神・淡路大震災でも多くみられた)(停電のあとの)通電時の着火とする見解が示されました(ブレーカーが落ちていないとショートで発火しやすい)。これを「第ゼロ」とする。

 

さらに条件を加えます。

第七。当該市街地は木造密集市街地だったと思われる。

第八。冬場だが強風ではなかった。(延焼を遅らせる側)

第九。地震は16時10分。時間のわりに出火は少なかったといえるかもしれない。

 

段階を含めこれで10の要素となりました。

教訓や、原因解明や、減災のための要素が多く含まれます。

 

「焼け止まり線」も気にして見て回りましたが、道路幅員や建物材料以外にも、消化活動の人的要因も大きかったのではないかと思います。もっと延焼していた可能性があったことも含め、今後、科学的な検証や実践的対応を行うことが必要です。

現地の復興が進み再び活気を取り戻すことができるよう、願っています。


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