増上寺の蝋燭能 (都市は進化する192)

「海のゲートウェイ」と名付けた竹芝から浜松町・大門を経て、まさに街路上にデンと構える「大門」をくぐると増上寺に達します(A)。
一方、先日オープンした麻布台ヒルズから海に向かい東京タワーの前の坂を下ると増上寺境内の裏に達します(B)。
(A)から増上寺に入ると、その背後に東京タワーと麻布台ヒルズのメインタワーが競演して「東京の新名所 」風に見え多くの人がカメラを構えています(C)。

けれどもA→Cの流れと、Bからの流れがまったくつながっておらず、いつも残念に思っています。想像すると、昔の〈増上寺〉はもっと広く開かれた場所で、多様な要素が詰め込まれた場所だったものが、歴史を経る中で機能分化し、塀で囲まれた狭義の「増上寺」になっている。「芝公園を核としたまちづくり構想」(東京都2020.2)によれば、「増上寺と周辺の子院や学寮は、 三解脱門などの門や練塀などにより境界は明確で、本堂や霊廟などの領域は閉鎖的な空間となっていた。御成道は、三つの霊廟につながる厳粛な儀式的空間としての役割を担い、また、大門付近は、芝居小屋や市などが立ち、様々な商店もあり、多くの人でにぎわっていた。」(p5)

先日、増上寺の蝋燭能に行ってきました。真冬の夕刻にスタートということで、たくさん着込みガチガチの態勢で出かけたのですが、実は本堂の中で能は上演されました。本堂というと冷えきった板の間とのイメージですが、暖房もされており拍子抜けするとともに安心もした次第です。

それはさておき、増上寺の裏山(紅葉山)のB方面に古くから能楽堂があり、歴史の中で一度失われたあと明治になってそのあたりに再建された。それも失わたのですが、戦後、本堂も建て替えられて、境内で能が行われるようになった。本年の例でみると、それに先立って法要があり、増上寺の行事として能が奉納される。

これまでAのアプローチでCの景観を見てオシマイ、だったものが、少しだけ境内に居場所ができたような気がします。

とはいえ、なんとかABCが融合するような<<新芝公園>>にならないものかと願うところです。

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