「地域連携推進機構シンポジウム2018」が開催されます(2月15日(金)午後)

昨年度に続き、2018年度のシンポジウムが開催されます。
メインテーマは「ヨコハマ・神奈川地域の潜在力を活かした地域連携を探る」。
さまざまな角度から、これまでの取り組みの全体像を知るとともにこれからのあり方を探ります。
詳細は以下のURLで。
http://www.ynu.ac.jp/hus/sangaku/21426/detail.html

ロンドンにおける近隣計画の最新動向(7):Ham and Petersham近隣計画(2018-2033)

リッチモンド区の都市計画の中での近隣計画の文脈も含めて興味が湧くところです」とした、当区最初の近隣計画です。今、「当区最初の」としましたが、見たところ、後に続くものはありません。なぜHam and Petershamは近隣計画を策定したのか、なぜ他の近隣では計画策定の気配がないのか? いくつもの状況証拠の積み上げのレベルにとどまりますが、推論していきます。

第一。以前の2017.4.19の「ロンドンにおける近隣計画の最新動向(1):各区のマスタープランとの関係」に、「第一カテゴリーは、近隣計画をしっかり位置付けている区。クロイドン、ウエストミンスター、カムデン、サザク、タワーハムレットの5区が該当します。2017年末に採択予定のケンジントン&チェルシーも加えると6区に。」とし、次の13区を「いくらかは位置付けている」第二カテゴリーとしたあと、「第三カテゴリーは、ほとんど位置づけないか全くふれてもいない9区。以前、「近隣計画」ではない別種のまちづくりが進んでいるからではないか、などの仮説を検討しましたが、さらに分析するとおもしろいかもしれません。この報告書でも、リッチモンド区などで独自の「ビレッジプラン」等の取り組みがあると指摘しています。」としました。リッチモンド区は第三カテゴリーです。
第二。ただし、2018年7月にこの区でも新しいローカルプランが採択されたので、いくぶん変化があった可能性もあります。見てみると、p7に、近隣計画が2011年Localism Actで創設されたことは若干書かれています。そういう意味では「第二カテゴリー」になったと言えなくもないです。
しかし第三。具体的な近隣計画策定につき紹介したページをみると、「(ビレッジプランが既にあるのだから)そのほかに近隣計画で何ができるかについてはよくよく考えてみること(carefully consider what else a neighbourhood development plan could beneficially achieve for their area)を勧めます」とされています。これが「ビレッジプランで十分だ」というニュアンスなのか、「近隣計画は(たいへんな割に)益が無い」という気持ちなのか、「ビレッジプランやローカルプランの体系の中に近隣計画が混じるのはよくない」のか、「そもそも近隣計画をつくると区の方でもいろいろな手続きがたいへんだから控えてほしい」のか。少々聞いただけではわからない部分もありそうです。
第四。そのビレッジプラン。正確にいうと、今回近隣計画を策定したHam and Petershamは「例外」として、他の14のビレッジではビレッジプランがあり、それぞれのプランのうち必要な要素についてはSupplementary Planning Documentというローカルプランを補完する計画をつくってプランの有効性を高めようとしている(ほぼカバーできている)。だから、そのことも含めて「(ビレッジプランが既にあるのだから)そのほかに近隣計画で何ができるかについてはよくよく考えてみること」との文脈です。
第五。では、なぜHam and Petershamだけはそこまでして近隣計画を立てたのか。付属資料も含めると170頁にもおよぶその図書そのものは、最近策定されている他の近隣計画と大きくは異なりません。(Knightsbridgeとは構成が異なり)「政策」を中心に据えつつ「Community Proposal」が別の色を用いて書かれています(そのことによって法定の政策と非法定の提案を分けている)。形式的にみれば、Supplementary Planning Documentはいくらていねいに書いてもそれは区の政策であるのに対して、近隣計画の主体は区ではなく近隣です。それを大きな差とみるのか、「(ビレッジプランが既にあるのだから)そのほかに近隣計画で何ができるかについてはよくよく考えてみるとあまり何もなさそうだ」と考えるのかは、考えの差、動機の差なのかもしれません。具体的敷地提案の部分をみると、近隣計画のほうがよりきめ細かく空間の質にこだわって、「Proposal」も含めて書き込んでいるといえなくもありません。では、実際にどちらがより良いまちづくりになるか、どのような都市計画システムにすれば最適に近づくのかについての検証は、まさに研究課題なのでしょう。

ロンドンにおける近隣計画の最新動向(6):Knightsbridge近隣計画(2018-2037)

最も注目している第10号から。
注目点を先にあげると、第一に、ほぼ区全体にわたり近隣計画の策定に取り組んでいるWestminster区の第1号という観点から、他の取り組みの現状をフォローします。第二に、計画の質の観点から、本計画の質がどのように成り立っているのかを確認します。第三に、近隣計画の策定主体である「フォーラム」が、計画策定後にどうなるのか、また、どのような活動を行おうとしているのかを見てみます。本計画独自の注目される内容にも言及したいところですが、それはやめにして、最後にまとめ的コメントを補足します。

第一の点。このKnightsbridgeがレファレンダムに到達した他はざっと見たところ大きな変化はなく、各近隣での計画策定が進んでいるものと思われます。たとえば1年ほど前にとりあげたMayfair近隣計画(⇒関連記事1)は予定通り区に提案されて2018年6月24日までの協議に付され、次の審査の段階にさしかかっていると思われます。なお、計画策定主体であるフォーラムの有効期間が5年間で、区内のフォーラムは2014年から2015年に設立されたことから「その後」についてもそろそろ考えなくてはならない時期にさしかかってきました。Knightsbridgeの場合、指定が2015.7.21であることから、近隣計画書の中で「フォーラムとしてはその先5年間のフォーラムの設置(継続)を再申請する予定である」としています。
第二の点。Knightsbridge近隣計画には40の政策を含みますが、たとえば最初の「POLICY KBR1」(キャラクター、デザインおよび材料)では政策を述べたあとの説明の中で、「Evidence Base Document」を参照するよう指示しています。エビデンスそのものの説明は近隣計画中には書き込まず、フォーラムのHP上に「Evidence Base Document」を示すことで法定図書の「近隣計画」を補う形です。さらに、この「Evidence Base Document」の中で引用されている「Evidence Base」そのものについては、フォーラムHPの別の箇所で多数の計画書や報告書がアップされており数えてみると98件あります。「その他」のエビデンスがさらにその後に並んでいます。NPPFでいうところの「エビデンスを示せ」というのは例えばこのような状態を言うのでしょう。今、KBR1のみを説明しましたが、40の政策の多くの箇所で「Evidence Base Document」が言及されています。「NPPFの何パラ参照」という示し方も目立ちます。
第三の点。第二の点として、エビデンスの話だけをしましたが、もう1つ重要な図書「Knightsbridge Management Plan」が近隣計画中で言及され、HP上に並んで掲載されています。これは「計画の質」というより「計画内容の実現」にかかわるもので、近隣計画策定途上で出されていた多くの「アクション」を近隣計画が成立したあと実施(実行)していくという内容です。これまでの近隣計画でもいくらか書き込みが見られたものですが、Knightsbridgeでは政策ごとに「アクション」が示され、「誰が」「いつ」実行するかの予定(想定)が示されています。本ブログでもたびたび言及してきた財源であるCILの使い道についてもこの計画書で方針が示されています。

まとめると、計画本体、エビデンス・ベース、マネジメント・プランの3点セットが体系的にまとめられているという点で、本近隣計画は教科書的というか先進的というかNPPF模範的な内容です。ただし、これだけの体系的な計画書を図書としてまとめるのが平均的としてしまうとあまりにレベルが高いとは感じます。
Westminster区ではほぼ全域で近隣計画を策定中なので、少なくとも今回の第1号をみることによって、すべての近隣計画が出そろった都市計画のイメージをもつことができるようになりました。

[関連資料]
・Knightsbridge近隣フォーラムHP
http://www.knightsbridgeforum.org/
・Knightsbridge近隣計画(いずれもフォーラムHPより)
1.近隣計画本体
http://www.knightsbridgeforum.org/media//documents/knp_made_version_131218_website.pdf
2.近隣計画Evidence Base Document
http://www.knightsbridgeforum.org/media//documents/kebd_final_website.pdf
3.近隣計画Management Plan
http://www.knightsbridgeforum.org/media//documents/kmp_final_website.pdf

[関連記事]
1.メイフェア近隣計画がまもなく地元区に提出されます(ロンドンにおける近隣計画の最新動向(4))
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20171206/1512553272

ロンドンにおける近隣計画の最新動向(5):第8〜11号の話

2017年10月にロンドンで7番目の近隣計画がレファレンダムを通過しました(⇒関連記事)。その後少し間が空きましたが、2018年5月から10月にかけ、4つの近隣計画がレファレンダムを通過したと、Planning2018.11.9号に紹介されています(p32)。それらは、

第8号 2018.5 West Ealing Centre (Ealing区)
第9号 2018.6 Hampsted Town (Camden区)
第10号 2018.10 Knightsbridge (Westminster区)
第11号 2018.10 Ham and Petersham (Richmond upon Tames区)

です。なかなか興味深い事例ばかりなので、どのように興味深いかをまとめたうえ、今後できれば1つ1つ取り上げてみたいと思います。
第8号のWest Ealingは7号のCentral Ealingに続いてビジネス近隣計画です。これら2件は当初より検討されていたもので、ここにきて両者とも近隣計画となりました。第9号は、あのハムステッドの近隣計画です。最もロンドンらしい場所の1つで、近隣計画をどのように活用しようとしているか興味が湧いてきます。まちづくりに熱心なカムデン区の事例でもあり、計画策定後も「Planning Watch」という活動を行っているようです。第10号はウエストミンスター区初の近隣計画として注目しています。この区では区内のほぼ全域で近隣計画の取り組みがなされています。まんべんなく区域どりをするために多少無理をしているようでもありますが、ハロッズとハイドパークにはさまれアルバートホールやロンドン大学も含むこのようなエリアでの近隣計画とはどのようなものでしょうか。第11号はリッチモンド区初の近隣計画です。この区域はテムズ河沿いの歴史的ランドスケープにも恵まれた郊外住宅地で、これまでの近隣計画とは異なるキャラクターをもちます。リッチモンド区の都市計画の中での近隣計画の文脈も含めて興味が湧くところです。
共通して、新NPPF時代の新しい近隣計画であるため、「近隣計画書」としての策定内容、近隣フォーラムの活動など、見どころもたくさんありそうです!

[関連記事]
・ロンドンにおける近隣計画の最新動向(3)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170419/1492574594

新NPPF(2018.7改定)について

「近隣−市町村−広域−サブリージョン−リージョン−国−超国家の間の、どこが何を決めるべきかというシステム調整・システム分担の方向を決める」ために、いろいろな動きが続いています。都市計画システムの基本政策に限ると、NPPF(National Planning Policy Framework)の改定版が2018.7に出されました。Brexitが「国−超国家の間」のリ・スケーリングをテーマにしているとすると、今回の協議は都市計画をめぐる「近隣−市町村−広域」のリ・スケーリングをテーマにしています。
前回記事(2018.7.2)の論点に沿って、結果的に新NPPFがどうなったか、それが意味するところは何かについて整理してみます。

ここでは、戦略計画とローカルポリシーの線引きについてみておきます。
3月の改定案では「最低限、各地方計画庁は管轄区域の戦略的プライオリティーを示したプランを用意しなければならない」としていた部分を「ディベロップメントプランには、各地方計画庁の管轄区域の開発・土地利用に関するプライオリティーを示す戦略的政策を含めなければならない」と修正しました。言っていることは大きくは違わないと言えなくもないのですが、主語が「地方計画庁」から「ディベロップメントプラン」になることによって、誰がそれをするかに関する締め付けのようなものがいくぶん和らぎ、各地域の状況に応じて柔軟にやってくださいね、という雰囲気が出たと思います。特に、協議案では「プランを用意しなければならない」となっていたので都市計画システムそのものの変更まで踏み込むのかと思われた部分も柔らかな表現になっています。
そのこととも関連しますが、RTPIの意見などが取り入れられて、「ローカルプランにローカルポリシーを含めても良い」の「ても良い」の部分は修正されました。ただし、「ローカルポリシー」という言葉は用いられなくなり、「非戦略事項」と表現されたうえ、その含め方は2通りあり、「戦略事項と非戦略事項を含むローカルプラン」か「非戦略事項だけ含む近隣計画」とクギを刺す感じの書き方となりました。

12月6日のパーカー教授の特別講演会では、2012年の最初のNPPFで強調されていた近隣計画の効能が新NPPFでかなりトーンダウンしているとの指摘がありました。これについては既に2018年3月の協議案の段階でそうなっており、かなりタガもはめられた形のまま新NPPFとなりました。

なお、2018.3協議案では「3.Plan-making」の章の最後に書かれていた「Assessing and examining plans」という部分が分解されつつ一部前方に移動しています。前方に移動したのは「Preparing and reviewing plans」という表現となっていて、プランのPDCAサイクルを意識させつつ、常にエビデンスにもとづく政策とすべきことや、マーケットのシグナルを考慮すべきことを強調しています。

都市計画システムそのものの変更を強めに言っておいて、各界の意見を聴取し、結果において、政府が問題と認識しているシステム上の調整を行った感じと読み取れます。

紀元前2000年の世界の都市人口

昨日は、「アジアの都市文明」をグローバルヒストリーに登場させるタイミングを考えましたが、昨日「メソポタミアから都市文明を描き始めるのはよいとして」としていたことについても一応確認してみたいと思います。昨日同様、何人もの推定値が並列されている「主要都市の推定人口変遷」(Wikipedia)を参考にし、その時点でのその都市の人口の最大推定値をとることにします。
この表には紀元前8000年から記載がみられます。人口1万をはっきり超えるのが紀元前3500年のスーサ(イラン・45000人(⇒関連記事1))とウルク(イラク・14000人(⇒関連記事2))。このあと紀元前3300年の欄にメンフィス(エジプト・20000人(⇒関連記事3))などもあらわれますが、紀元前8000-3000年までの表に出てくるエジプト都市は3件に対しメソポタミア関連は(広くみて)19件[中国4件]、紀元前2800-2000年までのエジプト都市は4件に対しメソポタミア35件(パキスタン3はこちらでカウント(⇒関連記事1))[中国4件、インド2件]となっています。このメソポタミア35件のうち19件がイラク、6件がシリア。人口でみるとおよそ1万くらいから10万に届くか届かないかくらいまで。まだ、メソポタミアを統一したバビロン(イラク)は出てきません。

という全体的文脈のなかで、ここでは紀元前2000年の推定都市人口を並べてみます。
■紀元前2000年の都市人口
ウル 65000(イラク)
メンフィス 60000(エジプト)
テーベ 42500(エジプト・幅があるので中間値)
ギルス 42500(イラク・幅があるので中間値)
イシン 40000(イラク)
ラルサ 40000(イラク)
マリ 30000(シリア)
ウルク 30000(イラク・紀元前2800年が80000人で最高)
ニップル 30000(イラク)
以下、25000人(複数)、20000人、と続く

[関連記事]
1.『メソポタミアとインダスのあいだ』 (2016.1.8)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160108/1452225986
2.『都市の起源』(2018.102.25)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20181025/1540438915
3.(文庫版)『ピラミッド 最新科学で古代遺跡の謎を解く』(2018.7.4)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180704/1530699309

紀元前600年の世界の都市人口

昨年度に創設された都市科学部で現在、『都市科学事典』の編纂作業が続いています。
それとも関連して、「世界の都市の進化」をグローバルに描く場合、メソポタミアから都市文明を描き始めるのはよいとして、どの時点からどのように別の都市文明、とりわけアジアのそれを描けばよいのか。メソポタミアからの流れだけを追っていくとどうしても古代ギリシャ・ローマからヨーロッパ都市への単線的な流れだけになってしまう。
いくつかシカケを考えたのですが、どうしてもアジアはメソポタミアとの距離的隔たりが大きいため、「どこかで登場させたいけれどもどこでどうやって登場するか」を考えないといけない。

ということで、2018.2.22の記事で「最後は「紀元前後」」としていた都市人口話をさらにさかのぼって、アジア都市が登場してくる目安を探すことにしました。あくまで目安なのでこれだけが決定的証拠というわけではありませんが、(とりあえずの結論として)紀元前600年の都市人口をみることにしました。何人もの推定値が並列されている「主要都市の推定人口変遷」(Wikipedia)を参考にします。その時点でのその都市の人口の最大推定値をとります。

■紀元前600年の都市人口
バビロン 200000
洛陽 200000
カルタゴ 100000
メンフィス 100000
ノロス 100000
臨淄 100000
燕下都 100000

気になる「古代ギリシャ・ローマ」ですが、ローマが大きくなってくるのはかなり後の方なのでよいとして、アテネ。紀元前475年に100000というのが、この表では最初です。やや微妙な面もありますが、洛陽は紀元前771年にはじまるとされる東周の首都(当時は洛邑)であること、その前にも鎬京(紀元前900年に125000人。西周の首都)、さらにさかのぼって殷墟(紀元前1300年に120000人。殷の首都)があったとされることも合わせて、いわゆる「黄河文明」の流れで都市が発生し殷墟や鎬京のような前史を経て洛陽が繁栄。その後長安が築かれて唐の時代に最盛期を迎え広く(東)アジアに影響力をもった、というストーリーがはさまった後に、もう一度西方に戻って「古代ギリシャ・ローマ」が出てくる、という順番でもグローバルヒストリーとしてはおかしくないのでは、と現時点では考えている次第です。もちろん、単に古くはじまったということだけでは不十分なので、どこかの時点で東西の交流や交易があったり、影響を及ぼし合ったり、少なくともアジア内部での影響が大きくそのことがその後の都市形成を左右した、もしくはさらにその後の都市(計画)に(間接的であっても)波及効果を及ぼしたといえればよりよいのですが。

近隣計画に関するパーカー教授の特別講演会が開催されます(12月6日)

イギリスで2011年に法制化された近隣計画制度。その実証研究の第一人者として知られるレディング大学のパーカー教授の特別講演会が開催されることになりました。
12月6日の18時30分から。場所は日本都市計画学会です。
http://www.cpij.or.jp/com/iac/lecture2018-2.html

3例目の「Neighbourhood Development Order」が出ました

「近隣計画」のほとんどの事例は「Neighbourhood Development Plan」という計画書タイプのものですが、もうひとつの方法として「Neighbourhood Development Order」という、許容される開発を直接示す方法があります。
Planning2018.10.26号(p26-27)にその「Neighbourhood Development Order」の3例目となった「Broughton Neighbourhood Plan Neighbourhood Development Order」の紹介記事が出ています。過去の2事例の解説は下記[参考資料]に譲り、今回の3例目の意味・意義を考えてみます。かなりテクニカルですが、重要事例として。

第一。今回のBroughton(ロンドンの北100キロほどにあるKetteringという町を構成する1つのビレッジ)の事例は、そのビレッジ全体の「Neighbourhood Development Plan」も同日(2018.9.20)にレファレンダムを通過しています。つまり、「プラン」で全体像を描き、その中の重要な敷地に対する計画許可方針を「オーダー」で規定するという2層方式です。2層方式という意味では第2号Ferringの方法に近いといえます。
第二。具体的にいうと、Broughtonには小さ目の住戸が不足していること、BT(ブリティッシュテレコム)の用地がいずれデジタル化で転用できると見込んでその敷地をどのような形でなら計画許可を出せるかの方向づけを「オーダー」で書き込むことを、「Neighbourhood Development Plan」で示したうえで、「オーダー」で具体的に規定しています。それによれば、1または2ベットルームの小型の住戸とし、最低5戸から最大7戸までとすることを基本として、多くの条件が書き込まれています。
第三。Planning誌では、こうした特定敷地の許可条件を示す方式ははじめてのこととしています。というのも、第1号のコッカーマスの事例では4本の「オーダー」が策定されていますが、いずれも中心商店街でのエリアのルールを定めたものであって、「この」敷地というように特定はしていません。第2号がFerringでよいとすると、この事例は「特定」の3つの敷地に対する「オーダー」を規定していますが、許可条件というよりも、当該コミュニティで何を建てたいと思っているか(community right to build order)が書かれているものなので「許可条件」とは異なると考えられたものと思われます。

少しジャンプして日本風に言うなら、地区まちづくりプランを策定する傍ら、プランだけでは実現性が必ずしも高くないため、重要敷地(群)あるいは戦略ゾーンについてはミニ地区計画(あるいは地区まちづくりルール)のようなものを立てておく、という感じでしょうか。ただし日本の地区計画には最低規模の目安のようなものがあるなど、少し工夫を要するかもしれません。

[参考資料]「3例目」のここでの解釈
ここでは、以下のように考え本文を記述しています。
■1例目=2014.7.17にレファレンダムを通過したコッカーマス。4つのNeighbourhood Development Orderで構成される。中心商業地における4つのルールをそれぞれで規定している。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20131203/1386068976
■2例目=2014.12.10に通過したFerring(Neighbourhood Development Orderの特殊形として規定された「community right to build order」。3敷地に対する3本のルールとなっている。同時に「Neighbourhood Development Plan」が策定されており、その計画書の中で3つの主要敷地が位置づけられ、それらの実現のためのツールとして「オーダー」が用いられている。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150119/1421664618

宿泊税物語

2018年10月1日より、京都市が(日本としては)新しいタイプの宿泊税を課税することになりました。実は私も最近、とられてきたばかりです。2019年4月1日からは金沢市でも類似の宿泊税が課税されます。類似でないものは、これまで東京都や大阪府が課していたもので、1万円未満の宿泊は非課税などとする形です。大阪ではもっととろうと最近7千円未満に引き下げようとしているようですが。倶知安町では定額でなく定率の課税が検討されているようです。福岡市は福岡県とどちらが徴収するかで議論の最中のようです。
徴収予定額ですが、京都市は年間フル稼働する2019年度を45億円と見込んでいます。熱海市でも検討中ですが、簡単な試算によると一般観光予算4億6千万円に対して1泊200円で300万人に課税すると6億円と、かなりおいしい話。けれども当然そういう話には、観光政策やビジョンもちゃんとしてないのにそんなのないでしょ、などの批判が。

たとえばヨーロッパでも、この宿泊税は各国の首都などを除くと新しい動向にあるようです。イタリアでも2010年代に急速に広まったようで、ホテルのランク等によって1泊1ユーロから数ユーロ(高級ホテルはもっと高額)徴収されます。ローマで2011年1月1日に条例が施行された(年間100億円の徴税を見込む)際の話題が的を得ていそうなので(岡田直子さんの当時のブログ。全国紙La Repubblicaからの引用による)、少し紹介(引用)させていただきます。(激しいのはやめにして、、、)
批判的なものとしては、
・自分たちの財政難を、観光客へ物乞いしてまかなうのか?ローマ市の経営能力欠如を、観光客にカバーさせるのか?
・ローマはイタリアの首都である。つまりこの国の貧困の度合いを表している。
・滞在税を導入する前に、パリと同じクオリティのサービスを提供すべき。ローマではバスを45分待つのはザラ、道は汚く、メンテナンスもされていない。
賛成派の意見も、
・ツーリストのセレクションに繋がるので、良いことだ。つまり富裕層のツーリストが増え、質の良くないツーリストは来なくなるだろう。
などと、結構重要な論点も含んでいて、他人事とも言っていられません。