ヴェネツィアは都市計画しなかったのか? (ヴェネツィア都市イノベーション(1))

他にない独特の魅力的な都市空間が世界中から人々を引き寄せるヴェネツィア。これだけ自動車が発達した現代社会において、なぜあのような都市が成立しているのか?。どのようにしてこのような都市ができたのか?。都市計画無しでこのような都市ができたのだろうか?。もし無しのほうがよいのだとしたら「都市計画」なんて要らないではないか。
このような問いにようやく少しだけ答えられそうになってきました。1つは昨年出版された新しい図書『ヴェネツィアとラグーナ 水の都とテリトーリオの近代化』(樋渡彩著、鹿島出版会2017.3.30刊)においてヴェネツィアの近代都市計画にあたりそうな諸事実が明らかにされたこと。もう1つは現地を訪ねたり既往文献等を再確認することで、ヴェネチアが成立するときの最初の都市計画のようなものがやはりあったのだろうという予感をもったこと。後者をヴェネツィア第一の都市計画、前者をヴェネツィア第二の都市計画と仮に呼んだとき、いずれの都市計画も一般に想像する都市計画の姿と大きく異なるため、現在のヴェネツィアを人々が見る際、「都市計画していない」と感じるのではないか、というのが今回の話です。

まず、都市計画以前。ヴェネツィアという都市の立地の経緯。これについては最近の考古学的成果により従来の2段階定住説(陸寄りの別の地点に一度集住しはじめたが、後に安全上の理由から現在の地に移り住んだとされる説明を仮にこう呼ぶ)が揺らいでおり、むしろローマ人たちが進んだ技術を使って今より水位の低かったかなり古い時代からこのあたりに暮らしていたとする説も紹介されている(⇒文献1)ので、今回は対象外とします。いずれにしても干潟の上に土台を築いてできた百数十の島がどうやって都市的に機能するようになったかをどう説明するか。
さて、ここで第一の都市計画の登場。ただしこの部分はかなりあいまいで時間的にも長い期間ですが、
「都市をつくっていくとき、全体から構想して設計して、部分を下に下ろしていくか、部分から積み上げていくかという、極端に分けて両方あるんですが、ヴェネツィアは全体をコーディネートする発想ももちろんあったわけです。(以下、略)」(⇒文献2)といった説明や、かなりさかのぼりますが、「811年から始まるパルテチパツィオ家の治世に、ヴェネツィアの街は現代のものへと変貌を始めた。初代のアンジェロ・パルテチパツィオは、エラクレーアの生まれであったが、リアルトへ移民した。彼は、橋、運河、防壁、要塞、および石造建築を充実させ、街は海上へと拡張された。これが、現代の海上都市ヴェネツィアの原型である。」(Wikipediaヴェネツィア共和国の歴史』に現時点で書かれている内容で、文献はまとめて示されているためそれを是正するようにと注意されている)のような都市計画的対応ともいえそうな記述も確認できます。
一方、全体が保存対象であるような大切なヴェネツィアが近代化の波に晒されたとき、どのように対処したかというのが第二の都市計画。それがさきの『ヴェネツィアとラグーナ 水の都とテリトーリオの近代化』の主要な内容です。近代化の中でそれまでのやり方ではやはり限界となり、歴史的市街地の外側に鉄道や港湾施設などの近代的施設をつくった(例外的に市街地を壊すなどして新たな街路や水路を通した部分もある)。それらを機能させることで、今まで分散的・補完的に担ってきた諸機能が統合され、歴史的市街地は基本的に変えないまま継承できるだけでなく、不要になったスペースが他の機能に転用できるなどの形で動きがとれるようになる。この図書ではこれら一連の近代化対応を「近代都市計画」と呼んでいるわけではありませんが、これらをつなぎ合わせるとかなり「近代都市計画」に近いものになると思われます。制度面や体系的な計画意図の確認などの面を加えて体系的に理解したいところです。

ここから先は第二の都市計画の発展版。海上の歴史的ヴェネツィア市街地では足りない都市機能は別の島、大陸側の都市が受け持つ。ある意味、地域計画といえそうな分野です。たとえばすぐ隣のリド島。船で5分ほどのこの島に渡ると、普通の現代都市と同じように自動車が走り、まるで別の世界に来たようです。先の文献の第3章4節は数十頁を費やしてこの島の独特な役割の形成について論じています。一方、長い橋を渡れば大陸側にも数分で到達。朝夕、ヴェネツィア(島)に通勤・通学するのがむしろ普段の生活です。さらに、より広い地域全体が都市機能を分担しあって、それぞれ特徴ある都市・地域になっていることが紹介されています。

「第一の都市計画」の部分は少し横に置いておくとして、ここで第二の都市計画と呼んでいる都市の近代化の部分については、これまで慣れ親しんできた「近代都市計画」像とはかなり異なる独特な対応とはいえ「そうとらえてみれば理解できる。なるほど、そうだったんだ」と思える内容だと思います。このことは、日本の城下町に近代都市計画を加えた際の「加えた側」と「加えられた側」の関係や達成した都市としての価値を再評価することの大切さや、個性を大切にしながらも計画全体として価値が高まる新しい都市計画のあり方のヒントを示しているのではないかと感じます。

[文献]
1.『文明の基層 古代文明から持続的な都市社会を考える』p70-72。
この図書については、以下の記事で。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170518/1495109279
2.『地中海都市周遊』中公新書1512、p168。

【in evolution】世界の都市と都市計画
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『(映画)太陽の塔』

この春、JR茨木駅方面から、48年ぶりに「太陽の塔」に向かう私は、何か懐かしい「あの時代」に面会しに行くような、万博会場ではない周囲の中でうまく立っているだろうかと心配するような、まるで塔が意思をもった主体であるかのような気持ちになっていました。その「太陽の塔」の映画ができたというのでさっそくかけつけると、、、

よくできた映画でした。(一応)都市イノベーションworld的にみると、
第一。万博の「お祭り広場」の大天井に突き刺さるような格好で立ち上がったこの塔は、お祭り騒ぎのあと万博関連施設が取り払われたあとも、ほとんど唯一のレガシーとして残りました。この塔は何なのか。「東京タワー」のような単なる塔ではありません。仏像のようなものなのか?建築なのか?彫刻的モニュメントなのか?いつまで立ち続けるのか?大阪が無くなっても立っているのか?
第二。「進歩」とは何か。たとえば都市の進歩、都市計画の進歩とは何か。そもそもそういうものはあるのか?深く考えさせられます。前記事(⇒関連記事)にもあるように、万博跡地周辺が未来的であるためになおさら、「太陽の塔」の視線やその存在そのものが迫ってきます。
第三。万博の1970年、現在2018年、これからどうなるの?どうするの?たかだか50年ですが、50年の重みも感じます。映画が問いかけるテーマでもあります。
第四。いろいろな人が出てきます。建築家、哲学者、民俗学者、舞踏家、アーティスト、コピーライター。「太陽の塔」の内部も外形も含めて、多義的ながらもある一定の方向を向いた解釈とビジョンが示唆されます。

[関連記事]
・「1970年大阪万博」レガシー
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180521/1526890456

Jane Jacobs Medal

今年出版された『(RE)GENERATING INCLUSIVE CITIES』(Routledge)という本を読んでいるとき、ニューヨークのハイラインを主導した2人に2010年Jane Jacobs Medalが贈られたという箇所に出会いました(p35)。「おお、こういう形でJane Jacobsの精神は引き継がれているのか」とうれしくなり、さっそく調べてみることに。
この賞の運用はMAS(The Municipal Art Society of New York)という組織があたり、賞を出しているのがロックフェラー財団。2007年にスタートしています。ということは、(少し想像すると)2006年4月25日にJane Jacobsが亡くなったあと、「ジェーンの偉業をたたえ、その精神を是非次の世代に伝えよう」と創設されたのではないかと。ロックフェラー財団はベストセラーとなった『アメリカ大都市の死と生』の執筆や出版を支えていたこともあり(⇒関連記事へ)、今度はメダルと賞金を通してこうした活動を支援していこうと考えたものと思われます。MASの解説をそのまま載せると、

The Jane Jacobs Medal is awarded annually to individuals whose work creates new ways of seeing and understanding New York City, challenges traditional assumptions, and creatively uses the urban environment to make New York City a place of hope and expectation. The Rockefeller Foundation awards the medal. It is administered by MAS through a grant from the Rockefeller Foundation. The award was created in 2007.

なかなかいいですね。「new ways of seeing and understanding」「challenges traditional assumptions」「creatively uses the urban environment to make New York City a place of hope and expectation」の3ヶ所に、ジェーンの精神が凝縮して表現されており、それは今に生きる私たちがそれぞれの都市に向かうべき精神のありようを強く示しているように思えます。
賞の種類や選考基準、審査員などはまだ見つけていませんが、わかった限りではメダルが何に対して与えられるかの種類として「New Ideas and Activism」「Lifetime Leadership」「New Technology and Innovation」の3つがありました。ハイラインは「New Ideas and Activism」に対して。毎年2件くらいとすると、既に11年の実績があり20件に達するくらいと思われます。たいてい10月頭くらいの発表。今年の受賞者は!

[関連記事]
・JANE JACOBS:URBAN VISIONARY
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20110719/1311048212

自治体が自ら会社を設立しデベロッパーとなる団地再生をめぐる是非(Homes for Lambethの話)

民間事業者依存のアフォーダブル住宅供給では不安定なため、この際、自治体自らが会社を設立して団地再生をしようと設立されたのがHomes for Lambeth(council-owned SPVと呼ばれる。SPV=Special Purpose Vehicle)。自治体が100%出資する会社で、2015年にロンドン都心のランベス区でその設立が承認されました。
計画によれば、民間マンションなどに市場性のある区内の既存公営住宅団地(再生が必要とされる)を建替えたり新規の開発を行うことで、結果的に1394戸を建替え3400戸以上に増加できるというビジネスプランです。

そのフロントランナーとして2018年3月に事業のゴーサインが出たのがKnight’s Walk団地とWestbury団地の2つ。後者は82戸を建替えて270戸に、前者は18戸を建替えて84戸と予定(戻り入居するが、一部転出したり、住宅所有関係の異なる住宅となる。また、公営住宅相当の住宅になったとしても法の適用は受けない)。
行政がそんなことまで手を出して大丈夫かと心配になりますが、労働党が議員のほとんどであるランベス区としては、財源も無く、団地は老朽化しており、民間任せにもできず(したくなく)、リスク承知の(むしろリターンの大きさに注目した)選択です。
もともと修繕ですまそうとしていた団地が建替えに組み入れられるなど、火種となりそうな問題も出てきています。裁判になっている案件も。
けれどもこの動きはランベス区にとどまらず、文献(⇒参考文献)によれば、Reside and Be First(Barking and Dagenham区)、Red Door Ventures(Newham区)をはじめ、その他多くのロンドン区にひろがっているようです。

[参考文献]
Demolishing the present to sell off the future? : The enlargement of ‘financialized municipal enterpreneurialism’ in London, Joe Beswick and Joe Penny著, International Journal of Urban and Regional Research, 612-631, 2018.

地域版ニュータウン開発のための規則とガイダンスが発効

近年イギリスでは旺盛な住宅需要に宅地供給が追いつかず、国では地方自治体に対して多くの宅地を計画的に割り当てるようにとの強い指導をしたりその方向に誘導できる法制の整備等を行っています。
地域版ニュータウン開発(‘locally-led’New Town Development)もその1つで、あまり評判が良くない(今や過去のものと思われている)「ニュータウン開発」を新たな方法で事業化しやすくしようと、2017年に法改正があり、このたび(2018年6月から7月にかけて)規則(⇒関連資料1)とガイダンス(⇒関連資料2)が発効しました。

「新たな方法で事業化しやすくする」ためにはいくつかのポイントがあります。
第一。‘locally-led’との表現にあらわれているように、従来のニュータウンが(とはいえこのところかなりの間適用事例が無い)国主導で地元から計画権限や開発許可権限をとりあげるイメージが強かったのに対して、地方自治体主導のニュータウンとしました。具体的には2017年近隣計画法の第16条により、1981年ニュータウン法第1条のあとに第1A条を新設して、‘locally-led’のニュータウンを可能としました(実際には大臣が地方自治体(複数も可)を指名してニュータウン開発の監督をさせるという形をとっている)。
第二。過去の反省を活かすために、7月に出された規則によって、その「監督」の中身が示され、高い質の居住地であって持続可能なコミュニティとなるよう計画すること、良質なデザインになるように支援すること、計画当初より、1)長期にわたる資産の管理を計画すること、2)コミュニティの参加をはかること、3)ニュータウン開発公社解散後のレガシー対応をはかること、と、これまでのニュータウンが問題としてきた諸点の改良を図ろうとしています。
第三。実際の事業を進める開発公社(‘locally-led’New Town Development Corporation。頭文字をとってLLNTDC)の設立手順や、そのニュータウン開発を監督する地方自治体の業務内容が時系列に整理されたものがガイダンスです。

さて、運用がスタートし、どのようなニュータウンが誕生するのでしょうか。

[関連資料]
1.規則
https://www.legislation.gov.uk/ukdsi/2018/9780111169995
2.ガイダンス
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/721078/New_Towns_Guidance.pdf#search=%27new+town+act+1981+oversee+guidance%27

「urban national parks or national park cities?」

本日手にした月刊誌Town & Country Planning(2018.7号)をペラペラめくっていると、意味ありげな標記タイトルが。「意味ありげ」というより、何かを感じる新しい概念。はずれかもしれないし、「当たり」かもしれない。
とりあえず感じた「何か」を記してみます。

事のはじまりは、2016年に新市長となったサディク・カーン氏の選挙公約。その中の「A greener, cleaner London」で氏は「National Park City」を打ち出しました。文脈までわかるように引用すると、
「Make London the first ‘National Park City’ – setting a long term target to make more than 50 per cent of our city green and ensure that all children have access to nature.」
市長となったカーン氏は、ロンドンが「the first National Park City」となることを政策化するとともに2017年夏にGreener City Fundを創設。2018年春にその額は1200万ポンド(1ポンド140円として16.8億円)となりました。
一方、この構想を推進する団体として2017年秋にはLondon National Park City Foundation (NPO団体。イギリスではチャリティー登録団体)が設立され、ホームページを立ち上げて(⇒関連情報)、2019年夏にロンドンが世界初の「National Park City」になるべく、普及推進活動を進めています。

自分で勝手に宣言するんだから「世界初」に決まってるでしょ、などと疑問に思われる方も多そうですし、私自身も初めて見た記事なので「何かを感じ」ただけの段階ですが、確かにロンドンには緑は多く、「なかなか物の見せ方がうまいな」と思うところです。また、Town & Country Planningの記事では、そもそも「国立公園」がアメリカでどうして起こってきたかとか、後発のイギリス(やヨーロッパ)の「国立公園」がどう違うかとか、「国立公園都市」とはどうあるもの(ありそうなもの、あるべきもの)か、「urban」と「city」のどちらの用語を用いた方がよいかなどという議論をしており、都市イノベーション的な可能性も感じます。

[関連情報]
http://www.nationalparkcity.london/the-2019-launch

[関連記事]
・『Green Cities of Europe』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130618/1371522699

湘南邸園文化祭2018 (9月12日〜12月16日)

今年も湘南邸園文化祭が開催されます。
6年前に、『湘南邸園文化際2012』を取り上げたときが第7回。今回が第13回。継続は力なりですね。6年前と比較しつつ、今回の特徴などをあげてみます。

第一。ホームページが2016年に開設され(⇒関連HP1)、2018年のガイドブックなどがダウンロードできるようになりました。
第二。本年は明治150年となるため、その特別企画が目玉の1つになっています。NHK大河ドラマ西郷どん』にも先週伊藤博文が登場し、薩摩と長州の和解につながる重要な役割を果たしました(あくまでドラマの中の話ですがそれなりに「泣ける」設定)。文化祭のパンフレット4頁に1面を費やして大きく出ているのが「「明治150年」関連施策として、「明治記念大磯邸園」の整備を行います」との記事で、「旧伊藤博文邸(滄浪閣)など明治記念大磯邸園予区域の一部について公開を行うことを予定しています」とされ、詳細は、“国営昭和記念公園事務所ホームページ(⇒関連HP2)にて、10月を目途に公表されるとのこと。
第三。6年間に参加団体が増加し、カバーできていなかった箱根町湯河原町平塚市三浦市がカバーされて(横浜市戸塚区の名前も入る)、文字通り湘南全体がカバーされた感じが漂います。
最後に、パンフレットの裏表紙は英語版の案内ページになっています。

この頃になれば暑さも一段落しているものと期待したいところです!

[関連HP]
1. 湘南邸園文化祭
http://shonan-teien-festival.org/
2. 国営昭和記念公園事務所
http://www.ktr.mlit.go.jp/showa/

『practicing utopia』

最近公開された映画『英国総督 最後の家』で描かれたインド独立時の大混乱。分離独立したパキスタンには難民があふれ、独立したインドにも逆方向の難民があふれます、、、
本書で印象的な場面の1つは、このような中でデリーでは新都市計画(グルガオンを含む6つの衛星都市等を含む)が大胆に構想され、パキスタンにも新首都イスラマバードが新国家の望みを託した新都市としてつくられていく場面です。パンジャブ州の旧州都ラホールがパキスタン側に分離されたため新規にインドパンジャブ州(とハリヤーナ州)の州都としてつくられたチャンディーガルに込められた思いも、国際的な設計思想とも呼応しながら明快に語られます。その後に構想されたムンバイの新都市計画はうまく実現できなかったものの、計画に託された思いが明らかにされます。

今、インドだけ抜き出しましたが、本書でとらえる「ニュータウン」の幅はかなり広いです。というよりも、私(たち)が「ニュータウン」と思ってきた対象はいわゆる先進諸国で実践された有名な特定プロジェクトに限られ、かつ、空間構成や計画技術に特化していた、といったほうがよいかもしれません。
これに対して本書では、ニュータウンが「東側」諸国、すなわち旧ソ連やポーランド、旧東ドイツなどで国づくりの基本として大々的に実践される様子や、世界各国で実践される様子が広く描かれています。

しかし本書の特徴はなんといってもそうした各国事情(各論)にあるのではなく、「ユートピア」としての「新都市」の生成(田園都市論や近隣住区や地域計画など)やその思想的・計画論的変容と進化を、国際的視点で位置づけながら、およそ1970年代がはじまる頃まで論じきっている点にあります。空間スケールは、大都市拡大に伴うニュータウンから首都圏計画の中のニュータウン、国づくりのツールとしてのニュータウン、新しい科学や歴史状況に対応したニュータウン、人口が爆発的に増加する地球規模のアーバニズのなかのニュータウンと多様にみえますが、それらに共通して、今ある都市の状況や課題に対して、そうではない新しい都市のありかたを提案・実践する運動の過程がていねいに語られます。

Rosemary Wakeman著、The University of Chicago Press、2016刊。副題が「AN INTELLECTUAL HISTORY OF THE NEW TOWN MOVEMENT」。
付け加えると、ニュータウン(運動)に対して著者は常にポジティブです。なぜなら、短期間に大量の人々の場所を必要とする状況や新しい都市づくりだからこそ実現できる(と期待される)課題は21世紀の今日もなくなったわけではないのだから。結にあたる章では、1970年代に大きな批判にさらされ事例も減ったニュータウンが再生されていく様子を短く扱ったあと、21世紀に入った現在の世界のニーズや実践例が将来に向け期待を込めて語られています。
20世紀と21世紀をつなぐ、この分野でははじめての重要な書になるのではと思いました。

【in evolution】世界の都市と都市計画
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『RULE BY AESTHETICS』

カリフォルニア大学バークレー校に提出された博士論文をもとに書かれた、目の覚めるように鮮やかな、地を這うように集められ考えられた、出色の書。Oxford University Press、2015刊。副題は「World-Class City Making in Delhi」。著者はAsher Ghertner。
実はこの本の主要部分は既に本ブログでとりあげた以下の2つの図書(オムニバス)に取り上げられています。
一つは『Worlding Cities』(2011)。世界的な都市になろうと必死にその策を考え実行する成長途上の各都市の都市計画を描いたこの書で、「インドのバンガロールコルカタ、デリーを扱った第3部「New Solidarities」は圧巻というか壮絶。特に第11章のデリーのスラム撤去をめぐるストーリーはまさに「Art of Being Global」の象徴といえる内容でした。」ととらえていました。この第11章の著者が本書の著者です。このときは「圧巻というか壮絶」ととらえましたが、本として通しで読んでみると「鮮やか」さが目立ちます。
もう一つは、『CONTESTING THE INDIAN CITY』(2014)。1990年代に市場を国外に開放したインドの諸都市について書かれたこの書で、「ムンバイの代表的スラム「ダーラビー」の再開発をめぐる葛藤は、グローバルな力と国内のローカルな場所とのせめぎ合いが、国レベルの土地・不動産制度の改正、動かない政府をコンサルタントとして動かそうとするM氏、地元民からの訴えを聞きそれを代弁しようとする自治体議員、M氏が策定したスキームによる国際コンペに応募しようとする建築家や不動産事業者などが複雑に入り乱れて争う(contesting)プロセスとしてリアルに描かれ」ていると紹介していますが、デリーを扱った第7章がAsher Ghertner氏によるもので、台頭してきた中産階級勢力を組織化してそれまでの古い政治体制を打破しようとするデリーの戦略が具体的に描かれています。

『RULE BY AESTHETICS』というタイトルから、『Worlding Cities』の方はすぐにピンときたのですが、『CONTESTING THE INDIAN CITY』の議論がこうした形で組み込まれたのかとかなり驚きました。短く紹介すると、中産階級の近隣組織を組織化して、世界レベルの都市になるのだという共通イメージを強化することにより、各近隣では公有地を占拠しているスラムの撤去を裁判所に求めかなり多くのスラムが撤去されたという内容です(特に2000年から2010年までを扱う)。
『RULE BY AESTHETICS』ではこれら2つのコアとなるストーリーを、「なぜ審美的な基準だけで(端的にいうと見た目だけで)スラム撤去が裁判所で支持されるのか?」について、「Nuisance(不快なもの)」概念の変化にあることを突き止め、その変化の要因や解釈の変遷、実際の中産階級住宅地での会話の内容と裁判所への請願書の分析により、確かに「Nuisance(不快なもの)」概念が(中産階級から)広く支持されていると論証します。
しかしこの本がすごいのはここからで、筆者は、撤去されたほうの住民にも寄り添い、撤去自体には不平があるものの彼ら自身が描くデリーのあり方も「世界レベルの都市」になることであり、自身もちゃんとした敷地のある家に住みたいと思っていることなどが分析されてゆきます。

現実の都市は複雑で、「クラス」間の不公平問題も放置できず、新しい理論はそう簡単には出てきません。どうしても研究は狭くなり、精緻にはなりますが現実のステレオタイプにも縛られて(自分ではそう思っていなくてもそうなりがちで)思い切った突破ができません。突破は思い切るだけでなく、じっくり何年も取り組まないとあらわれるものではありせん。何年かけてもダメな場合も多いのが現実です。
本書はそういう意味で、久しぶりにみた快作です。まだ1事例のため、本当の快作か、この場限りの快作かはわかりません。けれども、研究姿勢そのものに共感でき、仮説から実証に至るプロセスや、実証方法の組み立て方、現場と概念につながりを見つける独特のセンスが光ります。

[関連記事]
・『Worlding Cities』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130507/1367897544
・『CONTESTING THE INDIAN CITY』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160121/1453346049

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『THE NEW URBAN CRISIS』

リチャード・フロリダが、ある意味自説の限界と問題点を全面的に認めた重要な書。BASIC BOOKS、2017刊。エピローグが加えられた2018刊で読みました。
本ブログでもポートランドのホームレス問題やニューヨークのアフォーダブル住宅との格闘を最近取り上げましたが、本書はこうした問題を、「(クリエイティブ・クラスによる)待望の都市復活が、一夜にして新種のアーバン・クライシスになってしまった」(p3)ととらえ、都市における格差拡大の現実から根本的に持論を取り巻く構造的状況を整理した、「ついに書かれた」書です。クリエイティブ・クラスが集まれば集まるほど、その都市に暮らす非クリエイティブ・クラスとの格差が拡大。住宅価格は高騰して非クリエイティブ・クラスは住宅難となりホームレスも増加する、、、やや単純化しすぎているかもしれませんが、その実態を近年の統計から実証した書となっています。

やや反省しすぎて支離滅裂ぎみにもみえるこの書は、読むにはやさしい内容ですが、データが突きつける現実の意味や今後の都市・都市政策・都市計画のありようを考えようとすると、いくつも踏み込むべき領域があるように感じます。そもそもフロリダの理論(「仮説」としたほうがよいかもしれません)自体が揺らいでいる、より正確にいうと、その「理論」自体はまだあまり揺らいでいないどころかますますそうした方向が鮮明になってきているなかで、それがつくりだしている都市そのものの課題を放置しない、新しい理論が必要とされているのだと思います。

とはいえ、ネオリベラリズムの恩恵と洗礼を最もストレートな形で経験したアメリカ社会における「中流」の没落と富裕層/下層への二極分化が構造的背景にあるなかで、アフォーダブル住宅政策などの対症療法だけでこの「新種のアーバン・クライシス」が解けるとは思えません。第10章で示される処方箋や、エピローグで示される最新動向は、専門家としてのフロリダが現時点で発言できる精一杯の抵抗のように感じます。


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