インカ の検索結果:

『高地文明』

…ているのはアンデス(インカ)、メキシコ(アステカ、他)、チベット、エチオピア。 チベットを除くと、緯度の低いこれら地域の高地は、1)気候的に過ごしやすく人間にも動植物にも疾病等が少ない、2)外敵の侵入から守りやすい、との共通項に加え、高地ならどこでもよいというわけではなく、3)必要な木材資源等に恵まれている、4)水資源が得られる、5)比較的広い場所がとれる、6)高地に適応した栽培植物があり動物がいる。チベットは緯度が少し高いですが、2)~6)は共通しているともいえそうです。 …

「発明は必要の母である」(『銃・病原菌・鉄(上)(下)』)

…「しかしなぜピサロがインカ帝国を滅ぼしたのか、逆にインカ帝国がスペインを滅ぼしに行かなかったのか」という(ほかの人だったらしない)問答を、歴史をどんどんさかのぼりながら、「言語」「技術」「病原菌」などの要素に分けて論じていき、ついには最後に、「人類の長い歴史が大陸ごとに異なるのは、それぞれの大陸に居住した人びとが生まれつき異なっていたからではなく、それぞれの大陸ごとに環境が異なっていたからである」(下p365)との結論にたどりつく、との壮大な内容です。 このような壮大な物語を…

都市探訪16 文明転換

文明転換・スペイン化されたインカ帝国首都クスコ

『近代世界システム(2011年版)』と都市・都市計画

…を建設。1533年、インカの中心都市クスコ占領につづき、そこを破壊してスペイン都市計画によりクスコ建設。利便のため海岸近くに1535年、リマ建設に着手。 しばらくの間、これらメキシコとペルーに「副王」を置き中南米を経営。その間、1536年アスンシオン、1538年ボゴタ、1541年サンチアゴ、1580年ブエノスアイレス(最初の建設は1536年だが1541年放棄)を建設。その他の都市も必要に応じて都市計画がなされ、それら都市計画は1580年「インディアス法」第四編として体系化され…

1500年の都市人口

…らにピサロが向かったインカの中心都市クスコは人口20万人を擁していたといわれるので、(かなりおおざっぱですが)それは185000人のパリより大きかったとします。これもチャンドラーのリストには入っていません。 そうすると5位が同数で杭州とタブリーズ、7位が同数でクスコとイスタンブールとガウル。このあと10位がパリ。大航海時代で幕が明ける近代化によってこのあと関係は逆転。しかし1500年から500年後の現在、都市人口を指標とするなら、関係は再度逆転しつつあります。地球上の人口その…

【in evolution】世界の都市と都市計画(2024.4.29更新)

…・『アステカ王国』『インカ帝国』 (2017.1.20) http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170120/1484875080 C-4 都市・都市計画のオルタナティブ思考 ・『ティムール以後 世界帝国の興亡1400-2000年』 https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/2021/02/04/215039 ・『ロンドン 炎が生んだ世界都市』 http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20181016/…

『アステカ王国』『インカ帝国』

…き出しています。 『インカ帝国』(文献2)の方も基本は同じ。 コルテスに征服のノウハウを教えてもらいつつ、ピサロは1533年、首都クスコに無血入場。ここにインカ帝国が滅びたのでした。 というのが一般的な説明だとすると、特にインカ帝国の場合、その帝国システムを支えていた地方のリーダー(カシーケ)をうまく活かして帝国を統治したこと、高原の標高の上部、中央部、低層部に立体的に使い分けられていた土地利用システムや、高原から海岸につながる道をはじめとするインフラシステムを受け継ぎつつ、…

じゅうぶん豊かで、貧しい社会

…やり、前近代にまでさかのぼって現代の規範とすべき要素をひろいあげて、「よい暮らし」を目標としつつそれを形成するための7つの要素をまとめています。 考察は滑稽と思えるほど純朴で、抽出された7つの目標もかなり一般的。その実現のための方策も、ワークシェアリングやベーシックインカム等のかなり現実的なものばかりです。しかし、現在のネオリベラリズムの限界を親子で超えようとする姿に共感でき、反論や疑問点につき論理的に1つ1つ自問しながら解決に至ろうとする真摯さには敬意を表したいと思います。