ベネチア の検索結果:

Index Page (ブログ内テーマ検索)  [2024.3.24更新]

…ーマヴェネツィア (ベネチア)パリロンドンマンチェスターレッチワースアジスアベバドバイ北京横浜鎌倉バンクーバーポートランドニューヨークデトロイト ■計画内容 ビジョンマスタープランゾーニング近隣計画地区計画再開発区画整理計画許可エリアマネジメントニュータウン世界遺産 品川フィールド (品川駅周辺の大規模都市再生事業) ■災害 復興計画関東大震災阪神・淡路大震災東日本大震災南海トラフ地震首都直下地震新型コロナ ■人物 ハワードジェイコブズ *「主要都市」について 「京都」を検索…

都市探訪17 水運都市

水運都市・カーフリーはいかに可能か?(ベネチア2017)

『ローマ亡き後の地中海世界』+『十字軍物語』+『コンスタンティノープルの陥落』

…国家間の確執と盛衰、ベネチアという最強国(都市国家)の果たした大きな役割などなどが、手に取るように実感できます。 15世紀にスペインが勢力を伸ばし、あの1492年につながる頃(⇒関連記事)までのストーリー。 こうした大きな流れをつかむと、各地に「都市」として残された空間の中に年輪のように積み重なった歴史の証を読み取る大きな手がかりを得たように思えてきます。また、当時の「都市」「都市国家」「帝国」がどうやって生まれ、維持・拡張され、陥落・崩壊していったか、その空間構造や統治形態…

『古代文明の基層 古代文明から持続的な都市社会を考える』

…た内容は新鮮でした。ベネチアの覇権が衰えたあと「分散的な都市から統合的な都市へとシフト」(p60)し空間的にも都市が刷新されていく様子が示されています。『古代文明の基層』との観点からは、古代ローマとのつながりに関する近年の考古学的成果が少し書かれていました。[関連記事] ・『メソポタミアとインダスのあいだ』 http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160108/1452225986 ・『十二世紀ルネサンス』 http://d.hatena.ne.jp/t…

1492年 : レコンキスタと大陸発見

…でした。それであればベネチアの商人マルコポーロ等によってもたらされた情報や経験にもとづき、陸伝いどんどん先まで行くことが可能と判断したのでしょう。実際、1513年にはマカオまで到達。その後、1543年には種子島に鉄砲がもたらされています。「地球は丸い。がゆえに「西回り」でどんどん行けば必ず陸地の東端に着くはず」などということを誰が信じるでしょうか。けれどもスペインは、「西回り」で必ず陸地の東端に着くはずだと主張するジェノバの船乗りと組み、リスクとリターンを天秤にかけ、賭けに出…

品川フィールド(その2)

…に至る流通経路)が、ベネチア港などと合わせて地中海からの流通経路へとシフトする(超長期的にみるとかつての地中海パワーを取り戻す)ことになるかもしれないといったグローバルな構造変化の可能性(と同時に危うさ)を秘めた話題です。 それに比べるときわめて国内的話題になりますが、昨日、港区都市計画審議会で品川駅周辺地区に係る都市計画案が審議されました。既に2014年にガイドラインが出たりJR東日本からも情報が出ているものですが、それらのうちあの広大な敷地の面的事業(土地区画整理)や骨格…

ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797

…年トップになったのはベネチアでした(10人。国内では同数で常連の京都)。はじめてのことです。 そんなわけで、この2ヶ月ほど気になっていたベネチアですが、偶然のきっかけからこの図書に出会いました。本書は、そのベネチアが都市としてなぜ発展したかだけでなく、なぜ、どのように衰退したかを、きわめて多岐にわたる視角を提起しつつ、深く活き活きと描いた傑作です。その描写は客観的かつ精緻で淀みなく、たとえばベネチアのシステムとしての衰退の描写などは、まるで成長のエネルギーを失いかけている日本…

『発展する地域 衰退する地域』(文庫版)

…心都市」としてあげたベネチアが、いかにコンスタンチノープルのおかげで成長できたかの記述だけでも凄みを感じます。逆にこうした目でアタリの記述を読み返すと、なぜベネチアが成長できたかの別次元の要素がちゃんと書かれていることが確認できます。 第四。終章の「漂流」の議論。これはあまりにも重要でおもしろい議論であるため、あえて書くのをやめておきます![関連記事] ・第一の点関連 「THE EVOLUTION OF GREAT WORLD CITIES」(都市イノベーション読本 第74話…

『堺−海の都市文明』

…ス」というときの本家ベネチアには今でも当時の栄華をしのぶ都市や建築が残っているのに、堺には今日行ってみてもほとんど何も残っていないのはなぜか? もちろん「1615年に焼失していなければ残っていた」と言えなくもない面もあるとは思いますが、日本の都市には大火がつきものなのでそれはとりあえず横に置いておきます。著者の分析によれば、ひとつにそれは、応仁の乱で荒廃した京の復興に使われたのではと。例えば大徳寺の復興などが分析され、また、堺の寺社は京都に本家があることなどをあげて論じていま…