海のゲートウェイ : 新竹芝-新浜松町

2020年3月14日に開業した「高輪ゲートウェイ駅」が、駅そのものの見物でにぎわっています。かくいう私も、もう3度も行きました。「駅」というものの可能性を開拓する、何度でも行きたくなる「場所」「居場所」「空間」「視点場」「交流拠点」「作品」です。降りてもまだ何もないのに。

 

さて、本日は、次に注目している場所の話です。分散している情報をあえて束ねて「海のゲートウェイ:新竹芝-新浜松町」としました。

 

横浜と異なり、東京には「港町」と確かにいえる場所がありませんでした。海は大きく埋め立てられ、工場が建ち並び、「ウォーターフロント」はごくわずかです。関東大震災のあとガレキでつくられた横浜の山下公園に近いものとして、竹芝桟橋などがあげられるかもしれませんが、船はその後大型化・コンテナ化していきます。1990年代のバブル期に「ウォーターフロント開発」がブームとなり竹芝も再開発されましたが、街と海との間に高速道路がたちはだかり、「ウォーターフロント」は街とは疎遠な、わざわざ行かない場所に。

 

この春、「東京ポートシティ竹芝」と「ウォーターズ竹芝」がオープンします。それぞれに特徴のある、都市的・都市計画的に意義深い「next」を感じますが、まだとっかかりにすぎません。いくつもの計画が進行中です。けれども、それらを1つ1つ見ても、全体イメージは湧いてきません。そこであえてつけたのが、「海のゲートウェイ:新竹芝-新浜松町」。

「品川フィールド」と同様に、これからウォッチしていきます。



大気の質や公衆衛生の観点から不服申立てが却下されたはじめてのケース

『Planning』誌の2020年3月号に「CORONAVIRUS IS NOT THE ONLY DANGER IN THE AIR」と題する「Opinion」が掲載されています(p9)。

その内容と文脈を少し広めに紹介します。

 

2020年1月31日午後11時にEUを離脱したイギリスで今、たいへん意欲的と自認する環境法案が審議されています(⇒参考資料1)。生物多様性の増進などの政策を強化することや、政策推進のための新組織を設立することなどが中心的テーマになっていますが、PM2.5の削減に法的拘束力をもたせることなど、大気の質(Air Quality)も重要な項目。

現在、コロナウイルス問題の最中で気が回りませんが、「Opinion」の記事によれば、主に排ガスが原因となる大気汚染によりイギリスで年間1万1千人が亡くなると言われているとされます。この記事では、都市計画ガイダンスが2019年11月に改訂されて、大気の質向上のために都市計画の役割を強化した(⇒関連資料2)ことに注目し評価しています。ただし、実際の運用は地方自治体に任されたものの財政的・人的支援の無いことはあまり評価できないと、自らの立場(都市計画担当者協会の議長)から発言。それでも人々が健康に都市に住まうことの重要性をアピールしようとするこの論説の中で、以下のようなケース(判断事例)を紹介しています。

 

ここでようやく本記事のタイトルに。ロンドン近郊のKent県のとある町で、環境の悪い沿道に330戸の住宅(一部ケアホーム)供給の開発申請をしたディベロッパーが、環境が悪く健康に悪い影響が出るとの理由から開発が不許可となり不服申し立てを行っていた。しかし、地元グループからの働きかけもあり、この申し立ては最終的に却下されたとのことです。このような理由での却下ははじめてのことで、それは「game changer(それまでのルールを変える判断)」と言われている。

「Kent」「developer」「dismissal」「air quality」などと入れて検索するとこのケースの記事がいろいろ解説されています。「landmark legal case」などと表現されているものもありました。

 

[参考資料]

1.環境法案審議過程

https://services.parliament.uk/bills/2019-21/environment.html

2.「Air quality」に関する都市計画新ガイダンス

https://www.gov.uk/guidance/air-quality--3

 

「沈みゆく首都」

沈みゆく首都?

BBCの再放送のこのタイトルを見たとき、ヴェネチア?(首都じゃないなぁ、、)、モルディブ?(ここは国ごと沈みゆく問題、、(⇒関連記事))、じゃあ、どこ?

 

番組がはじまり、写しだされたのはジャカルタでした。世界一沈下スピードが早い都市との解説です。

主に地下水の汲み上げにより土地が沈下。堤防をかさ上げしてもその上から海水が入ってくる。またかさ上げしてもまた入ってくる。堤外(つまり海中)に半分沈んだモスクが写し出されます。このままいくと2050年までに、、、

 

ここまでであれば「災害に備える」的なテーマですが、「混雑などの都市問題も同時に解決するべく、カリマンタン(ボルネオ)島に首都移転することにした」というのが「都市イノベーション・next」的課題。発表自体は昨年の夏のことです。

森林伐採が進むこの島の22万ヘクタールを開発して新首都をつくるのだと。憂える島民もいれば歓迎する島民も。(自然と共生する)「森の中の都市」をめざしているのだとする政府側。

番組では、「そんなことを本気でやるの?」という懐疑、「新しい首都をつくるのではなく、今の都市を良くしてほしい」という不満、「島の環境が破壊される」という反対意見、「主エネルギー源とされるパームオイルは再生エネルギーじゃないでしょ」という批判などが紹介されていきます。

 

政府の計画では政治・行政機能は移転するが経済機能はそのまま。ということは、(これだけ離れた移転は)ブラジリアやキャンベラ型か。巨大都市問題の解決という意味ではカイロ型ともいえそうです。しかし「森の中の都市」とのコンセプトは「都市イノベーション・next」的。

 

もう一度主題に戻すと、ということは、水没問題はどうなるのか?BBCの番組ではそこまでフォローされていませんでしたが、新たなコンセプトで新首都をつくって国土バランスをとりつつ、既存都市をスリム化させて交通問題や地盤沈下問題も緩和または解決。とのストーリーにどれだけ迫れるか。

とてもチャレンジングなテーマです。


[関連記事]
(映画)「南の島の大統領 沈みゆくモルディブ」 








 

 

『大災害の時代 未来の国難に備えて』

五百旗頭真著、毎日新聞出版、2016.6.30刊。

1995年の阪神・淡路大震災以降、日本列島は大震災の時代に入ったとの視点に立ち、「安定した認識の視座を得るには。三脚がほしい。少なくとも三つの主要なケースを視界に収め、全体的な認識を得る必要がある」(p9)との考えにもとづいて、関東大震災(特に火災と復興計画)、阪神・淡路大震災(特に倒壊)、東日本大震災(特に津波と原発)について、発災時の意思決定にはじまる公助の機動力を軸としつつ、地域での自助・共助の力がどれだけ発揮されながら総合力を発揮したか/しなかったか/課題および成果は何かを分析しています。大災害の危機管理においてたびたび専門家として指揮をとってきた貴重な経験が、その後の調査結果も交えながら客観的に記述されていきます。

 

「南海トラフ地震」による津波の地域ごとの予測高さが先日(1月24日)発表されました(⇒関連資料へ)。昨年の東日本豪雨のような災害のさ中に大地震がきたらどうなるのか(本書では関東大震災の「強風」が実は台風とかかわっていたことが書かれている)といった組み合わせのような発想を超えた「想定外」の事態も、もし現在が「大災害の時代」にあたるとすると、幾度もやってくるかもしれない(1月24日にはもう1つ発表があり(⇒関連資料へ)、各地の活断層型・トラフ型地震の発生確率の年度更新データが公表された。しかしこのデータには災害が短期間に集中する「大災害の時代」的観点は弱い)。終章に書かれた筆者の整理によれば、これまでに著しい地震発生期が、[1]貞観期863-887年(24年間)三陸地震津波、南海トラフ地震津波、富士山噴火、内陸地震、[2]慶長期1586-1611(25年間)南海トラフ地震津波、三陸地震津波、内陸地震、[3]元禄・宝永期1700-1715(15年間)相模トラフ地震、南海トラフ地震津波、富士山噴火、[4]安政期1854-1859(5年間)南海トラフ地震、江戸直下地震、巨大台風、の4回あり、1995年以降は5番目にあたると位置づけています。

 

[関連資料] 2020年1月24日の地震調査研究推進本部発表資料

・南海トラフ沿いで発生する大地震の確率論的津波評価

https://www.jishin.go.jp/evaluation/tsunami_evaluation/#nankai_t

・長期評価による地震発生確率値の更新について

https://www.jishin.go.jp/evaluation/long_term_evaluation/chousa_20jan_kakuritsu_index/

 

[関連記事]

・『災害復興の日本史』

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20130312/1363075438

 

 

 

『氷川丸ものがたり』(建造⇒貨客船⇒病院船⇒引揚船⇒貨客船⇒引退)

 

「グローバル化が進むこの時代。日々の生活の隅々に世界がかかわっています。都市は直接そうしたグローバルな動きを反映し、また厳しい競争にもさらされています」という本ブログ案内(「Welcome page」)の通り、今回の事態で横浜は海外と接する「水際」となりました。「さまざまなテクノロジーが急速に進化しそうな2020年代ですが、それを凌ぐような災害リスクに晒されそうな2020年代のはじまりです」との本年最初の記事での予感のとおり、「災害」の概念もまた広くして備える必要がありそうです。

 

今回の主人公は氷川丸。

横浜に停泊している氷川丸がどんな船だったか。詳しくはこの本を読んでいただくとして、ここでは話題を2つに絞って本書の紹介とします。(伊藤玄二郎著、かまくら春秋社2015刊)

 

1つめ。1930年に北米航路に就航した本船ですが(⇒関連記事)、戦争となり、病院船に転身。この病院船はまさに今回の事態に関連して連日話題になっています。第3章を読むと、氷川丸がいかなるプロセスで改装されたか、「病院船」というものがなぜ世界で必要になったのか、また、その使命は何なのかなどについて詳しく書かれています。やや話はズレますが、つい先日、(たしか)CNNの番組で、アフリカで活躍する病院船「アフリカ・マーシー(船体には「mercyships.org」と書いてある)」の活動風景を見たばかりです。

 

2つめ。その規模感。1930年に誕生した氷川丸の経緯について、「横浜船渠は明治26年(1893)に船舶の修理を目的に渋沢栄一と地元の財界人らにより創立された。大正5年(1916)に造船を始めたが、7千トン級以下の貨物船17隻を建造しただけで、客船でもある氷川丸の建造はまったくの初体験だった。横浜船渠の設計スタッフは32人だったが、氷川丸の建造で一挙に150人を臨時に雇った」(p41-42)とされています。実際にどう設計したかがおもしろく、イノベイティブな内容ですがそれは本書で。

注目したいのはその規模感。横浜に停泊しているあの姿ですが、客室部分に限れば331人の定員。数千人も乗れる現代の巨大クルーズ船がいかに巨大かを痛感します。さらに時代の変化を感じるのは、昭和35(1960)年の最後の航海の乗船者258人の内訳。家族を含めフルブライト関係が119名。アメリカに帰国する高校留学生が93名という、若さあふれる航海だったとされます(p167)。

けれども船も大型化の時代。飛行機が登場したので、船というものがやっていけるために変質を迫られ、氷川丸も引退。

 

それにしても、数千人規模の、1つの「都市」のような国際船がこういうことにもなるとは、、、。

外に開かれた「港」とは、このような苦難や試練を幾たびも乗り越える中で、人々の記憶に刻まれ、その都市に味わいと深みを与える場所なのかもしれません。

[関連記事]

帆船日本丸(にっぽんまる) 大規模修繕工事に入る

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20181101/1541046960

平戸と都市イノベーション

「都市科学事典」の編集が進み、今週は担当している「都市はどのように進化してきたか」という項目の内容を一目で理解できる(との期待を込めた)図を作成し出版社に送りました。内容は出版されてから見ていただくとして、今回のテーマは「平戸と都市イノベーション」。

 

内容は、少し前の「都市探訪7 都市再掘」とも関連しそうな内容です。

「メキシコシティにテノチティトラン現る」とだけ解説された写真のため、印象に残っていないと思いますが、このことは「都市科学事典」の中でも取り上げている、自分としては大きなテーマです。1519年にスペイン人コルテスにより「徹底的に破壊された」はずのテノチティトランが、現代都市メキシコシティのど真ん中に姿を現すという出来事や、それを積極的に今日のメキシコシティの一部として位置づけるということそのものが、とても都市イノベーション的と考えるからです。「都市はどのように進化してきたか」で描いた「図」をよく見るとそのようなことも含めて「都市」「都市の歴史」がもつ味わい深い意味・意義や、たとえばこれからの「都市計画」をどうするかを考えるための都市の構造が見えてくることを期待しています。

 

さて、それが平戸とどう関係するのか。

1543年にポルトガル人が鉄砲を持って渡来したあと1550年には平戸にやってきます。幸いにもその鉄砲で「徹底的に破壊され」ることなく(まだ都市もそこにはなかった)、交易しましょうということで、1600年に平戸藩が成立したあと1609年にはオランダ商館ができ、1613年にはイギリス商館ができた。しかしキリシタンが弾圧されるようになり1639年にはポルトガル船は入港禁止に。オランダ商館も1641年には長崎の出島に移されて、ある意味、「平戸時代」は1550年にはじまり1641年に終わった。鉄砲を持ってきた方が追い出された形なのでメキシコシティとはわけが違うのですが、、、

 

話は飛びますが、2018年6月に、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されました。その中に、平戸島の一部も含まれる形となりました。実は、当初日本から出ていたのは「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」でしたが、そうした捉え方ではなく、禁じられていた時代の遺産(の方が世界遺産として適当)という形で世界遺産となった。

世界遺産サイトは平戸の中心部から離れたところにありますが、ある意味、平戸の市街地にも(主に鎖国時代に)禁じられていたものがたとえば教会の形で復活する。

「徹底的に破壊」こそしていませんが「徹底的に取り締まった」はずの施設が町の中に「見える」ようになり、2018年に「世界遺産」となることでさらに新たな視点から価値づけがなされた。

 

都市は生きている。歴史も生きている。

 

これに関連して余談を少し。2月3日の日経新聞(クリック欄)に、天草ジオパークが「ジオパーク」認定を今年度末で返上する、との記事が出ていました。「ジオパーク」に縛られてむしろ認定更新審査などに負担がかかる割に観光客にあまりアピールしていない。むしろこの地域は「潜伏キリシタン」で観光客は増えている。「ジオパーク」を打ち出すとしても、もっと柔軟にやった(やれた)方が本当の意味での地域活性化になるよね、といった内容でした。

 

 

  

 

超音速旅客機(SST)で地球が縮まる

ちょうど10日前のこと。ニューヨークからロンドンに向かった飛行機が、暴風に乗って予定時間より2時間も早い4時間43分で着いてしまったとのニュースが流れました。おお、これくらいならしゅっちゅう往復してもいいね、と思って冷静に考えると、逆向きのルートの予定時間は8時間なので、そのときに乗っていたら8時間ではすまなかったのだろうと。

 

などといつものように考えていると、今朝の日経新聞に「超音速の翼 再び開発ブーム」という大きな記事が出ていました。

技術というのはおもしろいもので、社会がそれを許容しないと活かされません。1969年が初飛行だったコンコルドは時速2200キロが出せたのにもかかわらず、ものすごい轟音と衝撃波で社会に受け入れられずお蔵入り。それから半世紀も経ちました。

時速2300キロが出るという意味では半世紀前と同レベルの「オーバーチュア」が、2020年代半ばには実用化予定というのがこの記事のメインの話題。ここから先が「都市イノベーション・next」的です。轟音や衝撃波はどのような技術によって克服できるのか。ある程度減らせたときに、社会の側はどのように受容できるのか。どのような条件でそれは可能なのか。それに伴う犠牲はいかほどか。その犠牲を克服するにはどうしたらよいか。

 

5つ前の「都心探訪9」の記事。私の家の斜め上空すぐのところに飛ぶ(ようになる)飛行機はゴーゴー大きな音をたてています。いなくなったかと思うと、すぐ次の便がやってきてゴーゴー音を立てます。本当に次々とやってくる(その様子が都心探訪9の写真)。例えば、こういう騒音に伴う直接的迷惑や不動産価値の下落の総量と、日本にやってくるお客がもたらす効果の総量を比較したとき、いかほどの効果や弊害があるかは定量化しなければなりません。いずれもっとスマートな形での運行に移行しないと、損失の方もかなりの大ではないかと直観します。

 

現在のジャンボ機の最高時速が約1000キロなので、離着陸のことも考えると「オーバーチュア」により世界の距離が約半分になる計算。羽田-ロンドンなら56時間程度に。これくらいであれば、気軽にロンドンに行けそうです。ただし、コンコルドのときよりコストは4分の1程度に抑えられそうですがまだまだ一般旅客向きのレベルではない。就航距離も8300キロとなっているので、ロンドンまでは一気にいけない。

1000キロあげるだけでこれだけの技術的・社会的課題が山積するこのテーマ。以前の記事で、日帰りで地球を一周する計画(リオとパリで会議に出て戻ってくる)を立てました(平均時速は4095キロ)[⇒関連記事]。どれだけ多くの都市イノベーション課題が待ち構えているとしても、一歩一歩実現に向かうことそのものに魅力を感じます。

 

 [関連記事]

検証・2050日本復活(1)高速化 

 

 

 

羽沢フィールド

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駅舎以外は何もない羽沢フィールド(2020.2)


2019.11.30に羽沢横浜国大駅が開業しました。

あれから2か月半。

おとといのシンポジウムでも「ハザコク周辺の可能性に向けて」がとりあげられました。

まだ駅舎以外は何も変化が見えないこのフィールド。けれども「品川フィールド」もそうだったように、「変化が見えない」ことはむしろ、これから起こることが未確定なだけで可能性はたっぷり。

 

そこで、本日より「羽沢フィールド」を定点観測することにしました。

 

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品川フィールド

品川フィールド(その2)

品川フィールド(その3)