平安宮(その2):紫式部の仕事場と執筆場所(イメージ)

紫式部が中宮彰子(一条天皇の妻)に仕えた場所とされる一条院跡を訪ねました。平安宮の北東隅の、大宮通りの向かいにあるブロックに一条院があったとされ、仕事場としては平安宮の中ではないもののすぐ隣ということで、リアルな感じがします。一条院の北側が一条通り。南を中立売通が東西方向に伸びます。

紫式部の自宅は現在の廬山寺あたり(平安京の東端)にあり、そこで源氏物語を執筆していたとされるので、どうやって仕事場へ行っていたのか想像してみます。

『光る君へ』(NHK大河ドラマ)はまだその前の段階で、お付きの者を伴いいつも徒歩で移動しているので(道長はよく馬に乗っている)、仮に一条院にも歩いて通勤していたとすると、中立売通をまっすぐ行くのが最短距離です(廬山寺も中立売通にほど近い)。その距離1.5km強。20分くらいで移動できたのではと想像します。

勤務時間は定かでありませんが、一条院などで見聞きした材料を用いて、帰宅後、執筆活動にいそしんでいたのでしょうか。

と考えると、平安時代中期の都市生活の様子がリアルに感じられた気分にもなります。平安時代後期ともなると郊外へと都市が拡張されるので(岡崎方面や鳥羽方面)、移動手段も変化していったのかもしれません。

 

一条院位置(隣の「別納(べちのう)」は付属施設)



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【In evolution】日本の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

 

『見えがくれする都市』再読 : 「Vision 2034 Tokyo」の観点から (都市は進化する209)

「Vision 2034 Tokyo」の柱の1つUrban Walkの新テーマ「尾根を下る」「川辺を遡る」で、「川辺を遡る」のほうは少し手がかりが見えてきた感じがしているのに対して、「尾根を下る」のほうはどうしても説得力ある切り口のようなものが見えてきません。

そこで、時々このようなときに参照している『見えがくれする都市』(槇文彦他著、鹿島出版会SD選書162)を「尾根を下る」「川辺を遡る」の観点から読み直してみました。ここでは読み取った結果のみを短く整理し、「Urban Walk」の糧とさせていただきます。

最初の3点は本書のエッセンス。

第一。都市空間を読み取るという意味で「Ⅰ都市をみる」が総論となっていて(p17-62)、都市計画論・理論を考えるうえで重要な議論がされています。出版年の1980年からは40数年、「Vision 2034」を基準にすれば半世紀以上経っているので、その差異なども意識して読んでみると、いろいろな論点が浮かび上がります。なかでも「変わらない構造」の読み取りが重要で、それはこのパートの最後の文にもまとめられています。「新しい自立的な構造とオペレーションの原則が、どのように歴史という流れのなかでとらえ得ることが出来るかが、明日の都市づくりに対して我々に与えられた最も重要な形態上の課題であることを、「都市を歴史的に理解する」ことから我々は識るのである」(p52)。

第二。総論のもと、「Ⅱ道の構図」「Ⅲ微地形と場所性」「Ⅳまちの表層」とつづき、最後の「Ⅴ奥の思想」がまとめというか、本書での主張であり全体にあらわれるライトモチーフ(あるいは切り口)のような押さえとなっています。ⅡとⅢあたりに「尾根を下る」「川辺を遡る」とも重なる知見や参考図書、事例が見えかくれします。特にp98-99の「幕末の江戸の土地利用」は授業などにも使わせていただく貴重な資料となっています。

第三。本書のライトモチーフ「奥の思想」は絶対的な中心性をもつ欧州の「「中心」の思想」と対置されつつ、締めくくりの言葉へと至ります。「今、日本の都市はかつてなかった激しい近代化、高密度化の洗礼をうけている」としつつ、「矮小化された自然」と「土地に根差した場所性の喪失」がますます促進されることによる「奥性の飛散」をシナリオ1として憂慮しています。それに対して「たとえ部分にであれ、現在の状況の中でも、再び都市の空間に奥性を附与すべく、利用しうる古い、あるいは新しい空間言語と技術を使ってその再生を試みることである」とのシナリオ2を示し結んでいます(p229-230)。

次の3点は「Urban Walk」「Vision 2034」の位置づけへの橋渡し。

第四。思想レベルの「奥性」に共感しそれを共有しつつ、都市計画の視点から空間の読み取りを行うことが基本と思われます。具体的には「Ⅱ道の構図」「Ⅲ微地形と場所性」で共有できる部分も手がかりに、『見えがくれする都市』から50年後の地球環境時代のTokyoの自然環境や災害時のレジリエンス、ポストコロナ時代の都市空間のありかたも加味しつつ、読み取るべき対象を探り出して読み取っていく。

第五。その手がかりを「尾根を下る」「川辺を遡る」(「丘の辺の道」「海の辺の道」)として設定していると考える。「奥の思想」を尊重しながら、都市計画の立場から「Vision 2034」の基本要素のようなものを掘り出してみる。一度にはできないので、少しずつ見つけ出していく。

第六。そして第三の点は、「たとえ部分にであれ、現在の状況の中でも、再び都市の空間に□□を附与すべく、利用しうる古い、あるいは新しい空間言語と技術を使ってその再生を試みる」(←□□は原文では奥性)。あるいは「その再生・創造のあり方を常に模索していく」。

 

⇒「【Urban Walk】(尾根を下る)」に組み込みました

 

 

ロンドンLiverpool Street駅の大改造計画が熱い議論になっています(その2)

「この決定は、すべてのロンドンの、そして英国の歴史的建造物が将来どのように扱われるのかの方向性を決定づけることになるだろう」(London Evening Standard, 2023.10.25)とも表現されたロンドンLiverpool Station駅の再開発についての議論は、いわゆる世間の話題としてはネット上では静かになっているようですが、7か月ほど間が空いたので(⇒(その1))、途中経過として計画協議の様子を少しまとめてみます。

シティ(当該開発が位置する都心区のCity of London)のホームページ上に協議の様子がリアルタイムで見える頁があるので(⇒資料)、そこの情報を本日時点で整理します。

現時点でこの案件(23/00453/FULEIA)に出ている「コメント」は2214件あり、うち、「Public Comments」が2188件、「Consultee Comments」が26件です。前者は日本でいうところのいわゆる「パブコメ」ですが、後者は都市計画法で定められた協議機関からの公式コメントです。

 

まず「Public Comments」の内訳をみると、受け取ったコメントは2189件、「異議あり」が2152件、「支持」が28件です(最初のコメントの日付が2023年11月1日、最後のものが2024年2月20日)。再開発反対の大きなキャンペーンが展開されていることもあり、圧倒的多数が反対意見です。キャンペーンということで何か定型文が多数寄せられているかというとそうでもなく、いくつかみたところでは、基本的にはそれぞれ自分の言葉で反対理由を述べています。

次に「Consultee Comments」をみてみます。こちらは「Total Consulted」が91件となっているので、91団体に開発内容を周知し、26件からコメントがあった(最初のコメントが2023年10月19日、最新のものが2024年2月9日)。歴史環境に関係する団体からはほぼ「異議あり」なので、ここでは、シティ以外の他区から寄せられているコメントを、大きく「異議あり」「異議なし」「ノーコメント」に分けてその内容と傾向をみてみます。(交通系の団体との協議ではかなり技術的な意見が出ているようにみえますが、ここでは省略。)

1)「異議あり」:ハックニー区(Cityの北に隣接)とウエストミンスター区(Cityの西に隣接)
ハックニー区は、再開発区域にほど近いサウスショーディッチ保全区域に害悪を与える恐れがあることを理由としています。ウエストミンスター区はセントポール寺院への眺望に悪影響が出ることを理由としています。

2)「異議なし」:カムデン区(Cityの北西側に隣接)、リッチモンド区(Cityの西方に離れたところ)、ハマースミス&フルハム区(Cityの西のウエストミンスター区のさらに西)、グリニッジ区(テムズ川の南の区でCityからは東方にやや離れている)
理由はカムデン区とリッチモンド区が類似しており、再開発計画からやや離れているため直接的悪影響がない。また、眺望という点では影響はあるが他の開発とそう変わりはない、といった内容です。他の2区も直接的な問題を感じていないものと思われます。

3)「ノーコメント」:サザク区(テムズ川をはさんでCityの南に隣接)、ルウィシャム区(テムズ川の南でサザク区とグリニッジ区の間)
理由はわかりませんが、少なくとも反対はしてないものととらえます。

以上を仮にまとめると、当該区(=シティ)ではこの開発にどう対応するか詰めているところと考えられますが、個別の景観的意見や技術的意見にはなんらかの対応が可能と考えられるのに対して、そもそも歴史的資産を守るべきであり(現在の状態が、過去にその歴史的建造物が壊されるのに反対してようやくたどりついた保全状態だとの自負もあり)強く反対している場合には、かなりしっかりした対応が求められるものと思われます。Oxford Streetの再開発をめぐる判断では、単に歴史的建造物の価値だけでなく、再開発による公共利益とのバランスの中で総合的な判断がなされていました。Liverpool Street駅の再開発ではカーボンニュートラルの議論は中心的テーマになっていないようにみえますが、再開発自体の巨大さを憂うコメントもみられ、果たして地元区がどのような判断をするのかが注目されます。「不許可」か「許可」かといった単純な分かれ道というよりも、「たくさん条件のついた許可」のうち「不許可」すれすれのものか1つ1つ対応していけばなんとか成立しそうなものになるのかの瀬戸際、といったあたりに着地する可能性もあります。地元区が判断しても、まだまだ異議申し立てなどの手続きが可能なため、決着がいつつくのかまったく読めません。

 

[資料] シティが行政的に扱っている計画申請の番号を入れると、かなり詳細な情報が出てくる。「Status」欄で「Current」を選択し、上記の申請番号を入力してみてください。
https://www.planning2.cityoflondon.gov.uk/online-applications/

 

 

 

ロンドンOxford Streetに建つ歴史的建造物の再開発計画が大臣により却下されました (その4 : 大臣の決定は誤りとの判断が下されました)

ロンドンの繁華街における再開発計画を大臣が却下したことを、M&Sが不服として高等法院に訴えていた重要案件について、2024年3月1日に高等法院の判断が示されました。ほぼ全面的に大臣の誤りを認めるもので、国の対応にもよりますが、なかなかこの判断を覆すことは難しいと思われる内容です。(⇒資料へ)

M&Sは6つの理由(「Grounds」と表現される)で自らの開発計画が却下されてしまったことを不服としています。

結果は、理由1~4がすべて大臣の誤りとし、理由5も大臣の誤り、理由6は却下としました。理由1~4が決定的なことは「I will quash the decision on the first four Grounds」との表現に示されています(第124パラグラフ)。理由6は歴史的環境に対する開発インパクトの分析方法に関するものですが、今回の判断の中では大きい要素ではなくかつ却下もされているので、ここでは、(その2)の「却下の理由づけ」のところで予想していた論点との関係で、理由1~5(特に理由1~4)整理してみます。

 

「1つは、「第五」のところで大臣の権限にもとづく重みづけが正当化されていますが、本当に都市計画法の運用においてここまで重みを大きくして判断したことが適切であるかどうかという点。」

とした部分は、理由1と5に関係します。

理由1は、国の都市計画方針であるNPPFの第152パラグラフの解釈エラーですが、エラーは明白であるとされました。一般論としてゼロカーボン社会の実現のために既存建物のリユースなどをうたっていますが、特定はしていないのでこれをもって開発不許可とするほどの根拠とはならない。理由5は理由1に比べれば各論的なもので、「ロンドン計画」の政策SI 2Cは操業段階のカーボン政策であって、建設段階のものではないのにそれを誤って解釈しているなどの議論になっています。

 

「2つめは、「第二」「第三」のところで代替手法が検討されていない(ようである)ことをもって「インスペクターの結論を採用するのは安全とはいえない」としている部分で、果たして開発計画の申請の際に、都市計画法(等)でそこまで厳密かつ客観的に代替案を検討せよといっているのかとか、実際に検討したかどうかの判定が適切になされたかどうか(申請者は本当はちゃんとやっていたことを示したのにきちんと取り上げてもらえなかったとか、そもそもそうした証拠の提示は求められなかっただけで実際には検討していたなど)。」

とした部分は、理由2に関連します。

ここでは特に、「インスペクターの結論を採用するのは安全とはいえない」と言っているのに「SoS(大臣) does not explain on what basis he disagree with IR13.70.」。IR13.70はインスペクター・レポートの当該部分で、高度な経験をもつ審査官の判断を採用しないのならなぜそうなのかをきちんと開発者が理解できるように説明しないといけないとしました。

 

「3つめは、「第四」に関連する経済的側面。1つめも2つめも結局「環境」、なかでもゼロエミッション政策に大きな重みが与えられるがゆえの判断であるのに対して、ロンドンの一等地での経済活動の振興の観点にも十分な重みが与えられるべきであって(マークス&スペンサーがそこにとどまるかどうかという次元の問題ではなく)、「重み」のバランスが適切ではないのではないかとの議論。」

とした部分は、理由3と理由4に関係します。

理由3は、「公共の利益」と「ヘリテージへの影響」のバランスについての誤りです。理由4とも大きくかかわるとされ、その理由4は、開発が不許可となってもOxford Streetのvitality とviabilityには悪影響(harm)がないとする根拠が無いことについてです。

3と4とは大きく関係しており、もし、今回の開発が不許可になったことで何も開発が起こらなかった場合にはとても大きな公共利益が損なわれるのに、判断のバランスを誤ったとされました。国側の開発不許可理由は「この開発がダメになったって、こんなに繁華な1等地なんだから何かがそのあとを埋めるはず」とされましたが、これが根拠無しとされました。

バランス論なので、理由3と4だけでは弱い面もなくはないのですが、やはり、理由1と2がペアとなって、都市計画の正当な運用を逸脱していることが大元にあり、さらに、それにしても公共の利益が損なわれないというのならそれくらいエビデンスがいるでしょ、という構成と理解しました。

 

[関連記事]

(その1) (その2) (その3)

 

[資料]

https://www.judiciary.uk/judgments/marks-and-spencer-plc-v-secretary-of-state-for-levelling-up-housing-and-communities/

 

 

能登半島地震から2ヶ月のまちを歩く(3) 建物倒壊・建物被害

首都直下地震による大きな建物倒壊被害が想定される中、輪島のまちを歩きました。途中、七尾を過ぎるあたりから被害が目に見えるようになり、輪島に入ると広い範囲で倒壊家屋がそのままになっています。今回は「木造密集」との関係を特に注意しながら歩きました。

 

第一。市街地大火エリアの東側に倒壊が多く、つながりからみて、大火がなくても倒壊被害はかなりの程度だったと思われます。

第二。倒壊はその付近だけでなく中心市街地にひろくみられます。西側の川が焼け止まり線になっていますが、倒壊被害は川を越えた輪島港方面の市街地にも続きます。

第三。密集している場合、1棟でも倒壊すると道路(といっても狭いものが多い)を塞ぎ、避難も困難となり、(その2)では防火水槽が使えず初期段階の消火に支障をきたしていました。

第四。もちろん、そこに住んでいる方の命にかかわる。倒壊まで至らずとも「全壊」となり大きな痛手となる。

第五。木造風建物で構造はしっかりしているものや、木造であっても被害を免れているものなど多様で、今回の被災から学べる教訓はたくさんありそうです。

 

今回、このような大きな地震になるとは思っていなかった。公式にも発生確率はきわめて低く示されていた。たとえば、「1000~2000年に一度しか動かないとされる活断層だから」「1729年の享保地震からはまだ300年しか経っておらず」動くはずはない、のようなとらえかたになりがちですが、科学的根拠はそう強いとはいえない。

 

昨年10月20日のシンポジウムで、倒壊被害が見逃せないことをお話ししました。1棟の倒壊が、副次的な被害の拡大のもとともなりうる。建物がダメになってしまったら、その後の生活がきわめて困難になる。

今回、「水」がこなくなった困難の長期化が人々を苦しめていますが、ようやく通水して、元の家に戻ってくるケースも増えているようです。輪島市街地を歩いた感じでは、スーパーなどの基礎インフラは動いているので、家が使えると使えないとでは困難の度合いが大きく異なると思われます。

 

政策・施策・技術・制度・働きかけ方などを組み合わせた減災の推進が急務です。 

 

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能登半島地震から2ヶ月のまちを歩く(2) 市街地大火

1976年に酒田の大火があったあと、阪神・淡路大震災を除くと、数年前に糸魚川大火(正式には「大規模火災」)があり約4万平米を焼失しました。今回の大火はそれを上回る規模です。首都直下地震でも市街地大火が危惧されることもあり、今回の大火の原因と意味を、現時点で自分なりに整理してみます。本日、周辺市街地も含め輪島のまちを歩きました。

 

第一。出火が確認されたのは地震後1時間ほど経った17時23分頃とされます。当時「大津波警報」が出されていて避難した方が多く、そうでなくても市街地も大破しており、発見した地元消防団の方は仲間に連絡しますがいずれも現場に駆けつけられません。

第二。人手がないまま消化しようと川の水に頼ろうとしますが地盤が変化してしまったせいか水がほとんど出ない。

第三。そのため市街地内の防火水槽の水を使おうとしたところ今度は大破した建物で水槽へのアクセス路が塞がれて到達できない。

第四。水が得られないまま時間が経過し、火はどんどん大きくなってゆく。

第五。ある時点でもはや火を直接消し止めるのは断念して、燃え広がりを阻止する方法に切り替える。

第六。やがて海水を直接使えるようになり消し止める。

 

のちに、最初の出火の原因が、(阪神・淡路大震災でも多くみられた)(停電のあとの)通電時の着火とする見解が示されました(ブレーカーが落ちていないとショートで発火しやすい)。これを「第ゼロ」とする。

 

さらに条件を加えます。

第七。当該市街地は木造密集市街地だったと思われる。

第八。冬場だが強風ではなかった。(延焼を遅らせる側)

第九。地震は16時10分。時間のわりに出火は少なかったといえるかもしれない。

 

段階を含めこれで10の要素となりました。

教訓や、原因解明や、減災のための要素が多く含まれます。

 

「焼け止まり線」も気にして見て回りましたが、道路幅員や建物材料以外にも、消化活動の人的要因も大きかったのではないかと思います。もっと延焼していた可能性があったことも含め、今後、科学的な検証や実践的対応を行うことが必要です。

現地の復興が進み再び活気を取り戻すことができるよう、願っています。


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