「Africa's Urban Planning Parimpsest」

都市化の勢いに押されて日本が「都市計画法」を創設したのが1919年。当時の日本の都市化率は18%でした。

現在(2019年)のアフリカの都市化率をエチオピアの例でみると、ちょうどこれくらい。「都市」と言っている内容もそれを動かすエネルギーも違うし「都市化」の様子も異なる。そうすると、必要とされる「都市計画」や「都市計画法」もまったく違うものかもしれない。マスタープランに照らして適合する開発を許可する、というような、20世紀初頭に当時の先進諸国で確立した都市計画が(本物の)都市計画だなどと思っていると、道を誤ることになる、、、

 

2017年に出版された『The Routledge Handbook of Planning History』という厚い本の第22章に掲載された標記の論説は、「あれから100年後」のアフリカの都市計画が、決して遅れたものではなく、「都市イノベーション・next」的なイノベイティブなものでなくてはならないと、力強く論じています。著者(Susan Parnell)が2014年に出版した『African's Urban Revolution』(ZED BOOKS)と比べると、短い論説の中に要点がコンパクトに示され、かつ、よりポジティブに、アフリカ都市計画の姿をまとめていると感じます。都市計画法は一般に不在で、各都市に都市計画部局は無く、都市計画の人材も(ほぼ)いない。民間主導でばらばらに開発が進み、多くの人々はちゃんとした家も無い。都市はリスクにあふれている。けれどもそうした現実からこそ新しい「都市計画」を見いだそうではないかと。

 

『The Routledge Handbook of Planning History』では、これまでのヨーロッパ中心史観を改めようと、ラテンアメリカやアラブ、ロシアや日本、中国、東南アジア、アフリカなどの、これまで「知らなかった」都市計画の取り組みを洗いざらい収集しようとして、「まだまだこの国のことはわからないから今後の研究課題」などとしているのですが、この第22章こそ、これまでの(このHandbookにおける)「都市計画」の概念を根本的に塗り替えることになるかもしれない可能性を宿したワクワクする内容でした。

 

※「(根本的に)塗り替えるかもしれない」ことが「palimpsest」という単語に込められているのではと思います。

 

[関連記事]右帯で「アフリカ」を検索すると20件出ます。主要なものをあげます。

・アジスアベバ開墾(1)〜(5) (2017.1)
(1)   (2)   (3)   (4)   (5)

 

[参考]【研究ノート】新しい都市計画システム

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20150424/1429839716

 

『都市計画法制定100周年記念論集』

6月19日の記念式典の際、先行配布されていた標記の論集が、都市計画協会から7月16日より購入できるようになりました。

都市計画協会のHPで「目次」が閲覧できますが、実は、「目次」の前の巻頭論文「都市計画にできること、できないこと」(都市計画協会会長  竹歳誠著)が、都市計画というものが成り立つ実際的状況について論じており、迫力がありました。

そういう意味で、この論集の面白さを一言でいうと、まだなかった都市計画(法)をなぜ、どうやって導入し、どのような紆余曲折をもって今日まで100年間やってきたかについて、立法や法運営に携わる立場から、普段は言えないことも、大局観のもとにリレー方式で骨太に振り返り、次の時代を展望する際の「土台」のようなものを提供していることです。

 

竹歳論文に刺激されて、まずは旧法[1919]導入(宇野論文)→新法[1968]導(松本論文)→これから(栗田論文)と読むと、日本の都市化の激しさとそれに対処しないわけにはいかなかった切実な「都市計画」の使命、だからこそ国民的課題として法律ができ(旧法)大きく改正された(新法)ことが理解できます。そういう意味で、今、そのような原動力はあるのか。あるとするとそれはどういうものか。それは国民的課題・関心をどれだけ反映したものといえるか。

 

11月に横浜で開催される都市計画学会でも「100周年」議論が予定されていますが、この論集は今は亡き先人たちの立ち向かった日本の都市・都市化の状況や国会審議なども含め、当事者視点で語られたたいへん貴重な「証言集」です。

 


[参考]【研究ノート】新しい都市計画システム

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20150424/1429839716

三島スカイウォーク

「日本一の400メートルの大吊り橋」が完成してからもうすぐ4年。

よく行く三島では計画段階から話題にのぼり、できた直後は「結構にぎわっている」「すごいらしい」との噂も絶えず、しばらくすると「赤字路線で困っていたバス路線に乗りきれないらしい」などという悲鳴も。

 

最近ようやく悲願を達成できたので、「都市イノベーション・next」的視点で重要そうなことをまとめてみます。

第一。民間発意。民間主導。特に「前例のない」規模の大吊り橋。吊り橋ですから、安定した心地がしません。安定していては吊り橋とはいえないともいえる。やむをえずA地点とB地点を結ぶためのものであれば「公共的」なものですが。

第二。この点ともからみますが、ハラハラ感を体験でき自分の身体を実感できます。同時に絶景。イノベイティブです。

第三。行政的な大枠としての「“ふじのくに”のフロンティア」。減災と地域活性化に取り組む静岡県の重要政策で、沿岸・都市部では津波対策などを進める一方、「内陸・高台部のイノベーション【革新】」を戦略として掲げます。

第四。地元三島市では第三の枠組みを積極的に活用する形でこれまでに6件の「推進区域」を指定。三島スカイウォークを擁するプロジェクトを「農業・観光関連施設集積区域」に位置づけ事業推進。以下の2点を政策としています。

・箱根西麓三島野菜を活用した農家レストラン等農業・観光施設を集積し、地産地消や6次産業化を図り、農業の活性化を図る。

・災害時の非常食備蓄の拠点や周辺住民の避難所機能を果たす。

 

行政用語でみると「それは意義がありそうだね」くらいにしか見えないと思いますが、行ってみると、元気な民間のアイデアや味や機会がてんこ盛り。しかも次々と新たなモノ・コトが登場しているようで、持続的。

定量的にざっとみると、スカイウォークした人は4年間で400万人。参考として箱根芦ノ湖の海賊船は年間200万人なので、数のうえでは「海賊船に乗った2人に1人はスカイウォークした」くらいの人数です。

 

最後に。スカイウォークで着いた「向こう側」で「究極の生ジュース」を出している沼津西浦のみかん農家さんと話をしました。上記の1つめの政策にぴったり。おいしかったです。こうした循環がたくさん生まれるといいですね!

ゴーストレストラン

「これ、何?」

昨日の読売朝刊の「ゴーストレストラン」の文字が目に留まり、まずは現場を見ようと、中目黒の「ゴーストレストラン」に。

そのビルの2階が「ゴーストレストラン」になっており、キッチンのみが7つ並んでいました。細い共用廊下をはさんだ対面に大型冷蔵庫がやはり7つ並んでいます。

観察結果を書き記すと、そのビルの1階は店舗となっており、2階が「ゴーストレストラン」。不動産事業的にはこれが効率的だったのでしょう。そのビルは中目黒駅の東横線下の小さな飲食店が立ち並ぶ一角がちょうど終わるあたりの、繁華街と住宅街の変わり目付近にあります。デリバリー専門なので、前面道路はしっかりしています。

 

今、中目黒の特定の「ゴーストレストラン」について書きましたが、このような、厨房だけの、客席の無いレストランが「ゴーストレストラン」。シェアリングエコノミーの新形態です。供給側に対する不動産ビジネスという点が新鮮です。近いものでは、「シェアキッチン」があり、消費者側の観点では「キッチン付きレンタルスペース」もたくさん出回っているようですね。「家」で囲われていた機能が分解し、都市イノベーション・nextの素材があまた都市空間に出回ってきました。

少し理論的にみた、「commercial/communal軸」「inter-mediated/socio-cultural軸」という2軸4象限の見方も有効そうです(⇒関連記事)。

 

[関連記事]

・『Sharing Cities

『菜の花の沖』から読み取る函館・北海道開発史(北海道イノベーション(その3))

T君(卒業生の1人)の北海道「移住」を祝して(?)「北海道イノベーション」シリーズをはじめます。(その1)(その2)はさかのぼって加えます(下記)。今回は(その3)。

『菜の花の沖』(司馬遼太郎の歴史小説)の描く、18世紀終盤から19世紀序盤にかけての「蝦夷地」とりわけ「函館」の開発史。日本にとっての「北方」の前史。これはペリーがやってきた横浜や函館の開港前史でもあります。

ここでは、『菜の花の沖』(文庫本で6巻ある)のどこに「函館開発史」が埋まっているかを、その文脈も含め大雑把にとらえます。(小説自体とても魅力的ですが、ここではあえて関連部分のみ抽出)

 

蝦夷地の経営を独占していた松前藩。新参者が食い込むのは難しいうえ、その城下松前は良港とはいえず立地も良くない。菜の花がきれいな淡路島出身の主人公、高田屋嘉兵衛は函館に目をつけ、商品流通の拠点化をめざします。「いまこそさびしい浦ながら、ゆくゆく蝦夷地第一等の港市になるにちがいない」「箱館にいそぎ倉庫をつくって貯えるのだ」と嘉兵衛。(3巻p137-206が「箱館」)

ちょうどその頃よりロシアの南下を幕府も警戒しはじめ、七年を限って箱館から知床までの東蝦夷地を松前藩から借り上げる。警備強化のため津軽藩、南部藩、秋田藩、仙台藩に兵を出させた。東蝦夷地の天領化をめざす幕府からの派遣官高橋は言う。「つまりは、かれらの暮らしを賑わさねば、蝦夷びとはロシア人になりかねない」。そうした動きにも乗って嘉兵衛は択捉航路をひらき商売を拡大。箱館もますます賑やかに。(4巻)

箱館上陸から16年。「かれが最初にきたときの貧寒とした海浜が、この十六年のあいだに堂々たる町になった。」(5巻)

  

[関連記事]

・北海道イノベーション(その1) 北海道新幹線

 ・北海道イノベーション(その2) “攻めの廃線”

 

[函館関連]

『文化の樹を植える  「函館 蔦谷書店」という冒険』

「街コン」「街バル」

 

『藩とは何か 「江戸の泰平」はいかに誕生したか』

タイトルから受けるイメージはあまり都市イノベーション的ではありませんが、「これぞ日本の都市が国土レベルの配置とネットワークを伴って誕生した都市イノベーションそのもの」といえそうな重要な書。

藤田達生著、中公新書2552、2019.7.25刊。著者の専門は日本近世国家成立史。

 

これに近い図書として『信長の城』『城下町』がありますが、本書は「日本近世国家成立史」の観点から、現代日本都市・地域・国土構造の起点となった都市の設置、地域システムの改変、国土レベルでの持続的な空間経営システムの構築についてわかりやすく解説した(おそらくはじめての)書。

本書の独自性をまとめると、

第一。歴史学(藩政史)においても本書のような取り組みが意外にもなされてこなかったことが序章(はじめに)で整理されています。

第二。城下町という都市スタイルがいかにイノベイティブだったかが第一章「近世城下町の画期性」で明確に語られます。『信長の城』や『城下町』で個別には扱われていましたが、より実践的・体系的で足元がしっかりしています。

第三。「藩」の公共性が「預治思想」により語られます。天下統一をめざす信長にその起源を見いだし、現代の「地方自治」とも異なる、新しい「国」をつくる中でのダイナミックな地域経営思想のようなものを強く感じます。第2章。

第四。城下町の都市計画そのもの。ただし本書の真髄は、都市計画プラス地域計画。しかも地政学や都市農村計画も含めた、トータルな国づくりの一環としての「藩」という地域開発・経営管理装置のデザインの話。この章(第4章)だけでもかなりワクワクしました。

 

4点書きましたが、まだまだこの書のおもしろさには迫れていません、、、

 

それにしても、現代だったら「そんな金のかかる事業やれるわけないでしょ」と一蹴されそうな大事業を、なぜ計画、意思決定、実行できたのか。その一端は、たとえば第一章の「徹底的な再利用」などからも読み取れますが、もっと知ろう思えば各所にその入口がありそうな、興味の尽きない図書です。

 

「地域価値を高める都市計画」

明日(8月22日)、全国地区計画推進協議会総会で標記のタイトルで話をします。「都市計画」の要素1つ1つは中立的・技術的な道具にすぎませんが、「こういう都市をめざそう」という意識のもとにそれら道具を使うと、その都市らしい、他にない価値の増進ができるという内容。三島市、大磯町、藤沢市、横浜市をとりあげる予定です。

2020年代に向けての重要なテーマ。今回は協議会に参加している行政担当者向けの内容です。

「美の委員会」中間レポートが話題になっています

最近届いた雑誌Planning2019.7.19号をペラペラめくっていると、最初の大きな記事の見出しの「beauty commission’s」という文字が目に留まりました。都市計画の雑誌に「beauty」という文字を見るのも新鮮な(かなり久しぶりな)感じがあるのと、さらにその「beauty」に「commission」がつながっておりどうやら大所高所から「beauty」のあり方をとりあげていそうだと。

これは放置できないと、さっそくその中間レポートそのものを読むことに(⇒資料1)。発行は2019年7月。つい最近です。

最大の関心はまず「美」をなぜ扱うことにしたのか。これが第一の点。第二に、都市計画で「美」をどのように定義するのか。第三に、誰がどのようにその定義された「美」の程度や地域への適合性を判断するのか。そして第四に、そのような都市計画システムは動くのか。

 

まだ「中間レポート」とはいえ、最終レポートは6か月後とされるので2020年早々には公表されるものと思われます。

中間レポートから読み取った上記4つのQのおよその方向は以下のとおり。第一の「なぜ」。やはり量だけが先行する現行システムを大きな問題ととらえたから。そしてあえて事の本質に迫る「美」そのものを取り上げるべきと考えたから。第二の「定義」。これは「美しい建物」「美しい場所」「美しく置かれていること(Beautifully placed)」の(次第に空間スケールが大きくなる)三段階。第三の「誰が」はローカルに政策化して運用。第四の「都市計画システムは動くか」は委員会としては提言までであとは政府の仕事。

Planning誌記事の最大の心配は第三の点。そんな専門家がいるわけでもないのにどうやって調査をしたりシステムを設計したり判断するのか。それを考えると第四の点も。提言を受け取った政府は実行するのか。できるのか。

 

記事としてはそのように心配するのが仕事として、自分としては第一の点がある意味衝撃的でした。「美」を国レベルの都市計画でどう扱うか。扱えるか。扱うべきか。

1890年代にアメリカで起こった「City Beautiful」運動は10年しかもたず、「その後の都市計画への影響」はあったにせよ、システムとしては根づかなかった。それを21世紀の今、なぜあえてとりあげるのか。その意気込みに凄さを感じますが、この「委員会」設置の意図や本気度、あるいは戦略なども知らなくてはと思います。(委員会メンバーは「コミッショナー」3名と「アドバイザー」9名が報告書冒頭に記されている)

単なるレポート止まりになるかもしれないし、これからの大きな議論の出発点になる可能性もなくはない。本当に「next」なものが生み出されるのか、注意深く見守りたいと思います。

 

[資料]

1.「美の委員会」中間レポート

https://www.gov.uk/government/publications/creating-space-for-beauty-interim-report-of-the-building-better-building-beautiful-commission

コロンブスより約500年前にアメリカ大陸に上陸するも<発見>には至らず(『図説・大西洋の歴史』(その1))

日本からさまざまな国に出かけていき、いろいろなことがわかってくる。ヨーロッパのこともアフリカのこともアメリカのことも。けれどもどうしても自分の中で埋められない場所がある。それは、「日本からさまざまな国に出かけていき」ではどうしても埋められない「大西洋」という場所。正確には、大西洋を取り巻く国々や諸都市間の交流や進化。

 

この夏、その「大西洋」について少し埋めてみようと、『図説・大西洋の歴史』という本を読み始めました。マーティン・W・サンドラ著(日暮雅通訳)、悠書館、2014刊。

11章構成の第1章「大西洋-暗黒の海」。この章だけでも発見はいろいろあるのですが、ヴァイキングが西暦1000年頃に北アメリカ大陸に到達していたことが、「大西洋の歴史」的には最大のポイントです。けれども、

「驚くべきは、ヴァイキングが実際にアメリカへ到達したという事実ではなく、彼らがそこへ到達し、しかもしばらく定住しながら、そこが新大陸であることを<発見>しなかった点である。」(1983年に著名な歴史学者が『大発見-世界と人類に関する探究の歴史』で記す)

というのが本書で語られている歴史。コロンブスが登場し、やがて新大陸が<発見>されるまでにこのあと500年もかかったとは!

このことだけでも、この暑い夏を夢中に過ごせそうな気のする、この本の導入部です。