関東大震災 の検索結果:

Welcome to T都市計画研究Studio (2024.4.1スタート)

…10 シンポジウム(関東大震災100年) ⇒瓦版31号2024.2 小岩駅周辺見学会 ⇒瓦版32号2024.7 見学会開催予定2024.下期 見学会(地方)開催を計画中 ◼️Lecture & Advice2023.10 シンポでの基調講演[pdf]2024.3 最終講義[目次]2024.5 神奈川県建築行政連絡協議会で講演(予定) ◼️Others(能登半島地震) 2ヶ月後 (液状化) (大火) (倒壊)(インタビュー) 「震災からイノベーションが起こるとき」(IUI YE…

関東大震災の本震(11時58分)の直後(12時1分)に起こっていた首都直下地震の話

…10日に発売された『関東大震災がつくった東京 首都直下地震へどう備えるか』(中央公論新社、著者=武村雅之)において、「関東大震災」とおおざっぱにとらえられている大地震の、本震に続く1つ目の余震が実は、現在考えられている「首都直下地震」に近いものだったとする研究成果が、論文としてではなく(論文は1990年代)、読み物としてわかりやすく書かれているのでそれについて正確に書いてみます。 2011年の「東日本大震災」でも、(横浜にいた感覚でいうと)前半の大きな5分くらいの揺れに続いて…

都市探訪189 木密減災

木密減災・関東大震災より間もなく100年

日比谷公園2033

…池東京都知事も登場。関東大震災の直前、1923年7月に誕生したこの音楽堂の歴史が語られるなど、緑あふれる公園での野外コンサートのすばらしさを実感しました。 さて、この日比谷公園も10年後の2033年をめざしてリニューアルされる予定です。 「やおん」も2024年度以降に建て替えられ、「2027年末完成」を予定。現在、事業化に向けた準備作業が進行中です。早いところでは「第二花壇とその周辺」工事に2023年9月に着手。「大噴水・小音楽堂とその周辺工事」が2025年度まで。 実は、「…

関東大震災(1923.9.1)復興関連GIS情報オープンデータ化プロジェクト

…くの余震等もあり、「いやな予感」もしたのではないか。また、噴火が終わってからがたいへんで、小田原藩の場合、火山灰が泥流と化して河川氾濫が起こりそこからの復興も含めて相当苦労した。藩だけでは復興は無理なため国の支援を求め、かなりの年月をかけての復興だった。石灯籠に込められた願いや意図などに関する記録は地元の方も「見たことがない」とのことですが、私たちは、1707年の大災害についてもその経験を学ぶ必要があるのだと思います。 🔖検索 「関東大震災」「南海トラフ地震」「富士山 爆発」

2023年度の「地域交流科目」シラバスが公表されました

…」・BOSAIラボ「関東大震災から100年の節目となる2023年」「災害の歴史を学び、地域の現状を知り、防災・減災のあるべき姿を仲間と共に考え、解決策を提案・実行し、まちづくりに貢献」・静岡川根本町 地域経済活性化プロジェクト「川根茶というブランドを通じて栄えていた川根本町は、現在お茶の需要減少と共に衰退しつつある。これから地域経済を盛り上げていきたい、川根本町の行政や地域に住む若い方々等と協力し合い、川根本町の地域経済を盛り上げていく」 この3つだけでも魅力的ですが、これら…

「街みちネット(密集市街地情報ネットワーク)」の話 (「関東大震災から100年」の2023年に(その3))

「街みちネット(密集市街地情報ネットワーク)」というネットワークに加わり活動しています。今週、その運営を企画・実行する「コア会議」があったので、少しその話をします。 HPによれば、「「街みちネット」は、密集市街地での共同建替え、道路拡幅整備などの事業に携わり、地域に密着したまちづくり活動を行っている自治体等の担当部局、事業者、団体などの皆様に参加を呼びかける密集市街地整備情報ネットワークです。」となっていて、「情報・意見交換の場として立ち上げられ、メンバー間の交流を通じて、相…

「本町地区防災都市グランドデザイン」(渋谷区)の2回目の報告会の話 (「関東大震災から100年」の2023年に(その2))

新年度(令和3年度)から実施段階に入った「本町地区防災都市グランドデザイン」は、防災性の向上(=ボトムアップ)と地域の魅力向上(=バリューアップ)を同時に達成しようとする計画で、以下の4つの特徴をもつと以前の記事で紹介しました。 「1)拡幅整備路線を位置づけるとともに、整備による効果を資料編にていくつかのパターンで定量的に評価(これにより事後のモニタリングやマネジメントが可能に)、2)将来像がビジュアルに示されており、バックキャスティングにより諸施策が構成されている、3)「ま…

「関東大震災から100年」の2023年に

2023年になり、「関東大震災から100年」という話を頻繁に耳にするようになりました。先週のとある打ち合わせでも、9月か10月頃にそのようなテーマで小規模なシンポジウムを企画する話になったところです。 このたびのトルコ・シリア地震の最初のM7.8の揺れは250kmの断層が動いたものと推定されていますが、2023年1月1日を基準に算定が更新された「南海トラフ地震」は20年以内に発生する確率が60%程度とより高い値になりました(2022.1.1を基準とする1年前の算定では20年以…

『市区改正と品海築港計画』(都市は進化する113)

…ついには大正に入って関東大震災が起こり、東京そのものがやられてしまう。 既にこの時代は本書の対象外となるのですが、「おわりに」において、震災後、「アメリカの救援物資を積んだ船が芝浦にきて、荷をおろそうとしても、桟橋まで船足が浅くてどうにも近づけない」「このことは一般に東京築港の必要性を痛感させた」(p149)。そして、「戦争中という条件のもとに、昭和16年5月20日遂に待望の東京港開港という、明治以来くすぶっていた東京築港の夢が実現するに至ったのである」(同)、とされます。 …

伊勢湾台風から63年

…、9月14日の記事『関東大震災鉄道復旧工事写真帳』で「「現代技術で相当丈夫になったんだから大丈夫だよ」と言い聞かせる自分と、「いやいや、被災するのはいつも弱いところだから、想像以上の、いや、想定外のさまざまな被害や不具合が必ず発生するぞ」と戒める自分が拮抗します。」の現実版といえなくもないので、少し書き留めておきます。 第一。「朝9時に台風になったばかりの15号がその日のうちにもたらした」というのは感覚的にはこれまでにないもので、台風14号とは真逆の感じがします。 第二。「東…

『関東大震災鉄道復旧工事写真帳』

…は無料で、パネル展「関東大震災99周年 寸断された大動脈-東海道本線の被害と復旧」という写真展をやっていました(こちらは関東大震災の「9月1日」に合わせてはじまる)。 いつも市街地の被害ばかり見ていたせいか、鉄道被害の写真そのもの、およびそこから漂ってくる大震災の破壊力のすさまじさ、さらには多くの写真に写っている99年前の人々の様子、表情、そこから察せられる当時の状況に強く引き付けられました。なかでも茅ヶ崎-平塚間の相模川にかかっていた「馬入川橋梁」の被害写真が印象的で、せめ…

Index Page (ブログ内テーマ検索)  [2024.3.24更新]

…フィールド (品川駅周辺の大規模都市再生事業) ■災害 復興計画関東大震災阪神・淡路大震災東日本大震災南海トラフ地震首都直下地震新型コロナ ■人物 ハワードジェイコブズ *「主要都市」について 「京都」を検索すると「東京都」なども出てしまうためはずしています。「京都」は、以下のキーワードで検索してください。参考のため、他都市の類似キーワードもあげておきます。 京都と都市イノベーション大阪と都市イノベーション奈良と都市イノベーション彦根と都市イノベーションロンドンイノベーション

海のゲートウェイ : 新竹芝-新浜松町

…」はごくわずかです。関東大震災のあとガレキでつくられた横浜の山下公園に近いものとして、竹芝桟橋などがあげられるかもしれませんが、船はその後大型化・コンテナ化していきます。1990年代のバブル期に「ウォーターフロント開発」がブームとなり竹芝も再開発されましたが、街と海との間に高速道路がたちはだかり、「ウォーターフロント」は街とは疎遠な、わざわざ行かない場所に。 この春、「東京ポートシティ竹芝」と「ウォーターズ竹芝」がオープンします。それぞれに特徴のある、都市的・都市計画的に意義…

『大災害の時代 未来の国難に備えて』

…の考えにもとづいて、関東大震災(特に火災と復興計画)、阪神・淡路大震災(特に倒壊)、東日本大震災(特に津波と原発)について、発災時の意思決定にはじまる公助の機動力を軸としつつ、地域での自助・共助の力がどれだけ発揮されながら総合力を発揮したか/しなかったか/課題および成果は何かを分析しています。大災害の危機管理においてたびたび専門家として指揮をとってきた貴重な経験が、その後の調査結果も交えながら客観的に記述されていきます。 「南海トラフ地震」による津波の地域ごとの予測高さが先日…

「常磐線再開プロジェクト」が朝日座で開催されます (朝日座を応援します(その5))

…線復旧するのを機に、関東大震災の第一報をアメリカに伝えた原町送信所(大正10年建設の高さ200mの塔。現在は解体され現地に10分の1モデルが建つ)や富岡受信所を擁していた磐城無線電信局の産業遺産に光を当て、その活かし方や地域間交流へのヒントを探る。会場となる南相馬市朝日座は、磐城無線電信局と同時期に開館した文化遺産である。2020年1月25日13時30分より。 以下は、学会経由の情報をそのままコピーしたものです。 ********* 常磐線再開プロジェクト2019「常磐線と磐…

災害に備える

…K大河ドラマ『いだてん』では一昨日、関東大震災後の様子が描かれました。下町全体が焼失したため、実際には災害直後に大公園等が避難所となり、上野公園50万人、皇居外苑30万人、芝公園20万人、日比谷公園15万人、浅草公園10万人などだったとされます。番組ではそのあとのバラック(仮設住宅)建設場所の不足が課題となっていました。19日の伊藤滋先生の講演「万華鏡都市東京」でも現時点での東京の避難の提案があったばかりです。 カテゴリー「災害に備える」の表示場所を上から4番目まで上げます。

鎌倉市津波シミュレーション動画が公開されました

…鎌倉市HPに、震災後「8分」で到達すると想定される大津波のシミュレーション動画がアップされました。 https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sougoubousai/tunamisim2804.html 15分弱の内容で、最初の5分で津波のメカニズムや関東大震災時の鎌倉の津波被害を概説。そのあと、由比ヶ浜、鎌倉駅、七里ヶ浜、腰越商店街の4か所でどのような津波が襲来するか、どのように逃げるべきか、逃げられるかについてリアルに表現されています。

神奈川県に発生する可能性のある地震被害の見直し結果

…です。 今朝の神奈川新聞の見出しには「関東大震災再来なら死者3万人強」とあり「国や専門家は発生は100年先程度になるとみており、切迫性は高くないと考えられている」と本文で解説しています。下に掲載された表では11地震の主な被害想定が一覧でき、8番の「相模トラフ最大級(M8.7)」の「死者数」142230人が最大であることがわかります。神奈川県の上記報告をみると、その場合、うち5万人弱の被害が想定された市があります。私自身、仕事や研究でかかわっている市。いろいろ考えさせられます。

ホテルニューグランド

9月1日が近づくと、関東大震災やそこからの復興のことを考えている自分に気づくのですが、ここ2、3年、ホテルニューグランドによる横浜の復興への思いや実際の企画・建設過程、ホテル経営に着地するまでの公民連携、復興事業におけるホテルの位置づけと実際の効果について知りたいと思うようになりました。知っていそうな何人かに聞いたところ、載っているかもしれない図書(たとえば『ホテルニューグランド○○年史』の類)や、知っているかもしれない方についてヒントをいただけました。「横浜にはその外国人用…

関東大震災から90年

…から横浜の3会場で『関東大震災90周年』展示会が開催されています(10月14日まで)。 7月20日に封切られた映画『風立ちぬ』でも関東大震災がアニメの形で描かれており、こういう表現もあるのか、こういうことでもあったのかと驚いた余韻をもったまま、3会場を見て回りました。 最も印象的だったのは最初に行った「レンズがとらえた震災復興」(横浜市史資料室)の1枚の写真で、震災後10日目に、建物の屋上で開催された市会の風景。10日ほど燃え続けた震災後の火災によって25000人余の犠牲者が…

災害復興の日本史

…害額の対GDP比は、関東大震災35.3%、阪神・淡路大震災2.1%、東日本大震災6.8%(34兆円)とされます(p245)。関東大震災の傷の深さがわかります。最近しばらくGDPは毎年500兆円ほどのため、首都直下地震の被害推計112兆はGDP比22%ほど。これでもたいへんですが、南海トラフ巨大地震では1000兆円に達するとの声もあり、それはGDP比200%と気が遠くなりそうな額です(既に国と地方の借金がGDP比200%ほどに膨れ上がっている)。 このような不安を抱えながらも「…

焦土からの再生 戦災復興はいかに成し得たか

…えられます。1)についてもいくらか書かれていますが、最もドキッとさせられたのは、関東大震災から60年の1983年8月30日に昭和天皇が語ったとされる、震災復興をもっとしっかり行っていれば東京の戦災被害は非常に軽かったのではといった主旨の発言です(別の文献からの引用の形)。これは、新聞社で皇室も担当している著者ならではの着眼点です。 現在進行中の東日本大震災からの復興。それぞれの都市・地域で語り継がれ大切にされ誇りに思える何かを残すことの重要性について考えさせられる1冊でした。