平城京 の検索結果:

平安宮

平城京の宮城(平城宮)を東西に貫く近鉄の移設が合意されたあと、本年新たに就任した奈良県知事が、費用の割にメリットが無いと「待った」をかけています。平城宮の場合、現在ほとんど市街化しておらず「復元」のイメージが湧きやすく「せっかくだから近鉄にも移動してもらおう」との発想が出てきます。 それに対して「平安宮」といわれても、教科書に出ていた、「当初の都市計画図の中央上方に描かれていた図としての大内裏」しか思い浮かばないのが普通だと思います。なぜなら現在の「御所(京都御苑)」はかなり…

『桓武天皇 決断する君主』(都市は進化する176)

…はなく「なぜ/いかに平城京を棄てたか(a)」「なぜ長岡京は10年で投げ出されたのか(b)」「1000年以上も日本の都として安定していた平安京はいかにしてその基礎を築いたのか(c)」などの諸点のため、どちらかというと「その正統性の確保と権力基盤の確立」について本書の説を理解・吟味しつつそれらとの関連においてこれら(a)(b)(c)について書かれている部分を抽出・理解する、といった感じになります。 そうすると、一般に言われている(と自分が思っていた)(a)(b)(c)のとらえかた…

平安京の都市計画はどの程度まで「完成」していたか?

…を感じたりもします。平城京や造りかけの長岡京、さらには難波宮などからも部材や人材などをかき集め、かなりのマンパワーを動員し、おそらくはハイレベルの土木技術等を背景としている。もちろん、過去の失敗にも学びながら多くの貴族たちを組織化してその後の「動かぬ都」を築いていく政治力・組織力・マネジメント能力についても興味が湧くところです。 🔖検索 「平安京」 【In evolution】日本の都市と都市計画本記事をリストに追加しました。http://d.hatena.ne.jp/tkm…

「古代都市文明の生成と伝播」(世界の都市と都市計画)を5つのパートに分けました

…)唐の影響で藤原京-平城京-平安京が出てくる。「出てくる」といっても実際にどう出てきたかは「世界」のほうではなく「日本」のほうでの扱いとなります。さらに現時点での想定では、唐が907年に滅亡したあとは外圧が弱まり、日本独自の都市の進化の視点になる。元寇(モンゴル襲来)があったり西欧列強による植民地化の脅威があったりしたものの何とか幕末までしのぎそれまでのかなり長い間、独自の都市生成・進化が日本ではみられた、とのグローバルな位置づけを考えています。 そういう意味では「世界の都市…

『「荘園」で読み解く日本の中世』+『荘園』(都市は進化する139)

…の記事にも出てくる「平城京から城下町へ」の仮説群の、特に2)番。土地を媒介として上から統治するやり方から下から統治するやり方に変わるまでの「数段階のプロセス」をどう理解するかの手掛かりを、2冊の「荘園」本の力も少し借りて2,3書き留めます。 第一。あくまで印象ですが、白河上皇の院政期に京都の市街地を東(岡崎・白川)に拡大したことと、荘園制度を緩和して全国に拡大したしたことが時代的に一致しており、地方の開拓・開墾を通しての人口増加や地域経済の発展(や間接的には地域の中心拠点とし…

『「幕府」とは何か 武家政権の正当性』

…時に、仮説的要素を「平城京から城下町まで」の中で列挙したことに言及しました。その仮説的要素は6つあり、以下のようなものです。 「1)鎌倉のような「武家の都」ではなく、「武家も重要だけれども藩主が統治する自律的なまとまり」へ進化するには数段階のプロセスを要した。2)国司や守護の形で中央から派遣され「上」から統治する形から、土地を媒介として「下から(地域から)」統治する形になるまでにやはり数段階のプロセスを要した。3)古代とは異なる形で国土が一元的に統一されるためには1)2)の長…

『平城京の謎』(奈良と都市イノベーション(その2)) (都市は進化する137)

…前に遷都され衰退した平城京の姿にこだわるのでしょうか?? 「なぜ平城遷都が行われたのか」「平城京の都市計画は?」を副題とする本書は、現代の奈良において平城京を解明しようとする知的営みの1つです。ナカニシヤ出版、2013.2.20刊。「奈良大ブックレット01」として刊行された、2010.8.29のシンポジウムの記録です。 今、「遷都され衰退した」と書いてしまいましたが、このたび初めて東大寺二月堂の修二会(“お水取り”)に行ってきました。大仏開眼の年752年から毎年欠かさず行われ…

天平の疫病(735-37)を軸に『東大寺のなりたち』を読む (都市は進化する110)

…り国家を鎮護しようと平城京に戻って指揮をとる。 『東大寺のなりたち』(岩波新書1726、2018.6.20刊)は、まだ「東大寺」と呼ばれていなかった時代から説き起こして、こうした苦難の時代を乗り越えようとする時代に東大寺が果たした役割について、東大寺別当(第218世)も務めた森本公誠氏が著した図書です。鎮護国家のために全国に国分寺を建てたことはよく知られていますが、そこで役割を担う僧の養成機関として東大寺がどのように、どれくらい重要だったかの記述には森本氏ならではの迫力が感じ…

『「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都』 (京都と都市イノベーション(その8))

…が強くなってしまった平城京を逃れてある意味ピュアな「日本国の中心」を建設しようとした平安京だったがゆえに、その後その周囲に付け加えられたさまざまな要素がそれぞれの時代を反映しながら京都が進化していく。お手本にした中国の都城とは異なり城壁をもたなかった(つくらなかった)こともあり、あまりよろしくない土地は不人気で開発されず、平安京の東、北、そして西の「余白」は時間をかけて随分発展した。ある意味現在のグリッドパターン都市が融通無碍に盛衰するのと同様に、シンプルでピュアな(そしてき…

『飛鳥の宮と藤原京』(都市は進化する100)

…している。たとえば、平城京に都が移った際、新しい藤原京から多くの建物等が移築されたが、「飛鳥の宮」にあったもので直接平城京に移されたものもある。 第四。これらの空間は正方位(南北軸にきちんと向いていること)が特徴で、それ以外の地域とも異なる空間であることが見た目で認識できた(とされる)。 まだまだ興味は尽きないのですが最後に、これだけのことを行った「時間」を書きとめます。壬申の乱672。天武天皇即位673(~686)。「新城」の造営スタート676。藤原宮の位置決定682。持統…

西大寺のクラウドファンディング

本ブログでは平城京跡を横切っている近鉄の移設問題(⇒関連記事)で出てくる西大寺。奈良の東が「東大寺」なら西は「西大寺」ということで(いろいろな意味で注目していた)その西大寺がクラウドファンディングしはじめたのを知り、その切り口がとてもおもしろいので、このプロジェクトに参加することにしました。巻いたままになっていた巨大な巻物を開いてみると仏画なのだが正体不明なので調査を開始しつつ、痛んでいる仏画を修復して2025年を目標に西大寺のどこかに掛け公開するのだと。 昨晩、目標額を達成…

平城宮跡を横切る近鉄の移設が合意されました (奈良と都市イノベーション)

…、「発掘・復元の進む平城京のために近鉄は移設すべきか?その理由は?移設する場合、どのような方法がよいか?」などと問うてきました。これまでにさまざまな反応がありましたが、大きくまとめると、1)その風景に馴染んできたからそのままでよい(これは地元近辺出身者からの意見)、2)土地もないと思うので地下化する、3)やはり史跡(平城京跡は特別史跡)は避けて迂回させる、の3案です。 日本の都市計画史の観点からも重要なこの課題について、10日ほど前にどうやら近鉄、奈良県、奈良市の間で3)番で…

纏向遺跡再考〜グローバルな視点から

…国が隋(581〜618)になった頃、ようやく都市計画を勉強するため留学し、持ち帰って、平城京などの形でそれを模したのでした。そのような方法は、古代中国を取り巻くアジア各地域でも実践されていきます。そのような方法から脱却し日本独自の都市イノベーションを起こすには、きわめて長い時間が必要とされたのでした。【In evolution】日本の都市と都市計画 本記事をリストに追加しました。 http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

【in evolution】日本の都市と都市計画(2024.3.19更新)

…7760737 ・『平城京の謎』(2023.3.5) https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/2023/03/05/045650 ・天平の疫病(735-37)を軸に『東大寺のなりたち』を読む (2022.11.26) https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/2022/11/26/110115 ・廃都転用 (2022.10.30) https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/202…

難波宮(大阪と都市イノベーション(その3))

…から藤原京へ、そして平城京の時代へと遷移するなかで、それら都からの脱皮やそれらとの補完関係(特に外交と水運)を模索しながら、少なくとも平安京に都が移るまでの間、重要な役割を担った都市として注目されます。 この場所。大阪城もそうであるように、上町台地の突端(北端)に位置する、おそらくこの地を支配しようとする者なら誰もが都や城を築こうとするであろうポイント。信長がてこずった大坂本願寺もここにありました。 『東アジアに開かれた古代王宮・難波宮』(新泉社(遺跡を学ぶ095)、2014…

アジアからみる日本都市史

…の長安に学んで日本に平城京や平安京をつくりました」との素朴な理解をはるかに超えて、古代世界システムの中での唐を中心とする都城の形成が「チベット高原を統一した吐蕃、モンゴル高原のウイグル、中国大陸西南部の南詔、中国東北部の渤海、朝鮮半島の新羅、日本列島の政権が相次いで樹立され、長安に対抗する都城を建造して唐と外交関係を築き、国家の安定と維持をはかった」「都城の建造・整備は、貢納と外交のための行政都市網の構築と整備を必然とするところである」(p55)としたうえ、58〜59頁にはこ…

纏向遺跡

…め、飛鳥から藤原京、平城京を経て都が平安京に移るまでの日本の中枢地域の継承と断絶についての新たな仮説を打ち出した、たいへん興味深い図書でした。 こんな話がなぜ都市イノベーションかというと、この纏向遺跡。実は、「農耕具が殆ど出土せず、土木工事用の工具が圧倒的に多い事等々、他の一般的な集落とは異なる点が多く、日本最初の「都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都宮」とも目されている」(桜井市立埋蔵文化財センター編『纏向へ行こう!』による)とのこと。そしてこの遺跡の「調査面積は南北約…